小説「赤毛のアン」の主人公、アン・シャーリー。独りぼっちでも、幼いながら気高く生きる少女です。その強さの秘訣は何なのか? 「自分に自信がない」「人に流されやすい」、そんな女性にこそ見てもらいたい一作です。

独りぼっちでも気高く 私には「私」という家族がいる

 皆さんは、世界的に有名な小説「赤毛のアン」がどんなストーリーか、ご存じですか。エンタメ業界で働く筆者ですが、実は2017年よりNetflixで配信されるドラマシリーズ『アンという名の少女』を見て、初めてその内容を知りました。独りぼっちでも、お金も着る洋服さえも満足に持っていなくても、幼いながら気高く生きるアン。その強さの秘訣は何なのでしょうか?

 19世紀後半のカナダの田舎を舞台に繰り広げられる、孤児のアンと養父のマシュー、養母のマリラと村の人々によるストーリー。孤児に対する差別や養子を引き取ることへの偏見、女性軽視や格差社会、見た目へのコンプレックスやフェミニズム、セクシュアリティーなど、現代にも通ずる社会問題がアンを通じて描かれます。

 生後3カ月で両親を亡くし、引き取られた家で暴力を受けたり、児童養護施設でいじめを受けたり、散々な思いをしてきたアン。そんな彼女を「かわいそうな女の子」と思う人は多いはずです。実際にアンを引き取ったカスバート家の兄妹も「なんてかわいそうな子だ」と思っていました。

 しかし、アンは自分を「かわいそう」だなんて思っていません。

 シーズン1の2話に印象的なせりふがあります。男の子を引き取る予定だったカスバート家は、女の子であるアンを一度は児童養護施設に送り返すのですが、すぐにそれが間違いだと気がつき、アンを孤児院まで探しに行くシーンがあります。

 老骨にむち打ち、気力で探しに探して、駅でようやく見つけたアンに「一緒に帰ろう!」と声をかけるのですが、アンは断ります。「私には『私』という家族がいる!だから放っておいて」と。

 独りぼっちでも、何も持っていなくても彼女は明るく、誇り高く生きています。その後、カスバート家に無事引き取られ、家族の一員として暮らすのですが、村の人々に「孤児のくせに」と差別を受けるなど、一難去ってまた一難。それでも、彼女のりんとした姿を見て村の人々も、彼女に対する見方を少しずつ変えていきます。

 ⽣まれてからずっとアンフェアな扱いを受け、善悪を正しく教えてくれる⼈が近くにいなかったにもかかわらず、なぜアンはこんなにも強く前向きに⽣きていられるのでしょうか。それは「教養」が彼女の味方をしてくれたからだと私は思います。