フィジー・日本のデュアルライフ

 2002年に大学を卒業した私は、システムエンジニアとして地元大阪で働き始めました。日々納期に追われる毎日で、通勤時間がもったいないからと会社に泊まりこみ、人付き合いが苦手だったため人間関係でも神経をすり減らしていました。「この先の未来に本当に幸せはあるのか」と自問する日々でした。

 そんなサラリーマン生活3年目のある日、「世界で最も住みやすい都市ランキング」(英誌『エコノミスト』)なるものをたまたま見かけました。2004年当時のランキングトップ5は、ウィーン(オーストリア)、メルボルン(オーストラリア)、バンクーバー(カナダ)、パース(オーストラリア)、ジュネーブ(スイス)の5都市。

 日本が嫌いだったわけではないのですが、「もしかしたら日本以外に、もっと自分にフィットする国があるかもしれない」という考えが頭に浮かんできました。世界で最も住みやすい国ランキングの「主観版」を作りたい。そして、その1位の国に住んでみたいという衝動に駆られたのです。

 その後、一大決心をして会社を退職。世界一周の旅へ出ました。2年強の時間をかけて約80カ国を訪問し、私はフィジー人と出会いました。

 「これほど幸せそうに生きている人たちには会ったことがない!」と感動した私は、「こんなに幸せそうな人たちに囲まれて生活したら、自分も幸せになれるんじゃないか」と考え、「幸せ」を学ぶべくフィジーへ移住しました。

 移住して4年がたった頃、フィジーが世界幸福度調査(カナダの世論調査会社「レジェ・マーケティング」発表)で1位になりました。それまでは「フィジー人は幸せそうだなぁ」と私が主観で思っていただけでしたが、公的に「フィジー人は世界で最も幸せな人たち」だと認められたのです。

 移住後、5年ほど経過すると、フィジー人の幸せの秘訣はだいぶ理解できるようになってきました。と同時に、フィジーでの単調な生活に徐々に飽きてきてしまい、フィジーと日本を行き来する「デュアルライフ(2拠点生活)」をスタートします。フィジーでの「日常」と日本での「非日常」が絶妙なバランスで交差し、日常も非日常も愛せる感覚を楽しめるようになりました。

息子と、フィジーの海岸にて。週末は家族で海に行くことが多い
息子と、フィジーの海岸にて。週末は家族で海に行くことが多い