フィジーで英語学校の校長を務める筆者は「日本・フィジー・デンマーク」の世界3拠点生活(トリプルライフ)を実践しています。現在は新型コロナウイルスの影響により、フィジーにとどまっています。幸福先進国と呼ばれるフィジーでの取材などを元に、「幸せ」とは何か、私なりの考えをお話ししたいと思います

私たちは本当に幸せになりたいのだろうか?

 幸福学の研究結果にこういうものがあります。「視野が広い人は幸せを感じやすく、狭い人は幸せを感じにくい」。幸せになるには、視座を高め、鳥の目を持つことが有効な戦略です。「俯瞰(ふかん)力」を高める方法の1つに、「そもそも論で考える」というのがあります。

 そもそも、働く必要なんてあるのか?

 そもそも、何のために健康に気をつかっているのか?

 そもそも、何のために生きているのか?

 「そもそも」で始める問いを立てることで、視界がパッと開けることってよくありますし、そこからライフスタイルが変容していくこともあります。「そもそも」は漢字で「抑抑」と書きます。野心や欲望がどんどんインフレしていかないように、「抑」えてくれる思考法が「そもそも論」なのかもしれません。

 私たちは本当に幸せになりたいのだろうか?

 最近、私が考えている「そもそも論」があります。それは、「私たちは本当に幸せになりたいのだろうか?」というものです。「幸せになりたいに決まってるじゃないか!」と怒られてしまいそうですが……。

 確かに皆さんは言います。「幸せになりたい」って。しかし、私にはどこか本気ではないように聞こえるときがあります。ただただ、合言葉のように言っているだけのように。

 以前、とある日本の女子大で「幸せ」について授業をする機会がありました。そのとき、女子大生たちにこんな質問をしてみました。

「幸せ」になりたいですか? 「北川景子」になりたいですか?

 あなたはどっちになりたいですか?「幸せ」になりたいですか、それとも「北川景子」になりたいですか。

 すると、驚いたことに約8割の女子大生は、「北川景子」を選びました。冗談半分の答えでもあるかと思いますが、私自身はここに何か「幸せの正体」のようなものが隠れているように感じました。

フィジーの村の子供たちはいつも笑顔
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