容貌の描写から深まる対話

 いよいよ展示室へ。各グループは鑑賞用の椅子をおのおの持ち、記者のグループはファシリテーターの清水与志絵さんに引率され、最初の作品に向かいます。

 対話鑑賞は、絵画や現代美術作品についてファシリテーターの質問を受けながら、自分の言葉で感じたことを語り合うというもの。今回は3作品を20分ずつかけて回ります。

 私たちのグループは、ある肖像画の前に陣取りました。ちょうど5人が聞こえるくらいの大きさの声で清水さんが「この(絵の)人を私に紹介してください」と始めました。

 説明文を見ずに、参加者は静かに絵の中の人物を眺めました。清水さんが「正解はないんです。恥ずかしがらず、何でもいいから教えてください。年齢でも職業でも性格でも。何を考えていそうとか、どこにいるんだろうとか」と促すと、ぽつぽつと意見を言い始めます。

 「男性」

 「頭が大きい」

 「人見知り。目を合わせていないから」(一同笑)

 「見た目を気にしない人」(一同笑)

 すると清水さんは「なぜそう思うのですか?」と発言者に問いかけます。発言者は「髪がぼさぼさだし、シャツもよれよれだから」。意見はさらに出てきます。

対話鑑賞の様子。対象作品(中央)に描かれている人物について一切情報のないまま感じたことを発言していく。グループは男性3人と女性2人。20~50代とさまざま
対話鑑賞の様子。対象作品(中央)に描かれている人物について一切情報のないまま感じたことを発言していく。グループは男性3人と女性2人。20~50代とさまざま

 「それほど貧乏じゃなさそうだ。シャツはシルクのようだし」

 「イケメンですよね」

 「なんだか傷付いているのかも。視線が下向き」

 「目をつぶっている」

 「悩んでいるようだ」

 「ショパンのよう。サラリーマンじゃなくてクリエーター、音楽家かもしれない」

 「友達になれるかな……でも声を掛けたら泣きそう」

 「彼氏にしたら面倒くさそう」

 「一緒に飲みに行ったら面白い人かもしれない」

 人物の容貌や表情に関する意見が出た後に、みんなの意見はだんだん、その人物が何を思っているのかという観点に移ります。さらに今を生きる人物だったらという仮定の話も飛び出しました。だれもほかの参加者が言うことを否定しません。「皆さんの意見が深くなっていきますね」と清水さん。

実際に見えるものと、見えてくるもの

 参加者がおおよその意見を述べた後に初めて、清水さんから、この絵に描かれた人物についての情報が与えられました。「実はこの方は、目が見えなかった人です。描かれたのは1920年、30歳くらいのとき。音楽家として世界中を回っていました。日本にあん摩という職業があると知り、興味を抱いて来日したそうです。皆さんが芸術家と感じたのは鋭い見方です」

 「対話するうちに、実際に見えているものと、見えてくるものがあります。この絵は重要文化財です。ですが先にその情報を知ってしまうと、特に大人は『重要文化財だからすごい絵なのだ』と思い込んで見るので、感じたままに見なくなってしまいます」(清水さん)

意見がほぼ出そろったところで、肖像画の人物や描かれた背景について説明を受ける。作品は中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」(重要文化財)で、エロシェンコはロシア出身の作家、詩人、エスぺランティスト。大正初期に日本を訪れ数年滞在していた
意見がほぼ出そろったところで、肖像画の人物や描かれた背景について説明を受ける。作品は中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」(重要文化財)で、エロシェンコはロシア出身の作家、詩人、エスぺランティスト。大正初期に日本を訪れ数年滞在していた

 今回の対話鑑賞という手法は、東京国立近代美術館が開館日に行っている鑑賞プログラム「所蔵品ガイド」と同じ。今回はビジネスパーソンが参加者だった点がいつもと違います。そのため東京国立近代美術館は「言語化する際の根拠や、作品を見て推論する力により、一層活発で深い鑑賞につながっていたようだ」と見ています。作品によって、発言を引き出しやすいものとそうでないものがあるので、「発言しやすいもの」「抽象作品か現代作品」などというガイドラインの下、ファシリテーターの好みを入れて選んでいったそうです。