近年注目されつつある地方移住。生まれ育った場所に戻る人もいれば、縁もゆかりもない場所に行く人も。「都会より生活費が安い」「のんびり過ごせる」といった声も聞きますが、果たしてその実態は? 今回は「地方移住を体験したのち、東京に戻る選択をした」女性に話を聞きました。

移住を決意したのは「東京に疲れた」

 SMS配信などを通じて企業や社会のスマート化を推進する、AI CROSS経営企画室・広報の小野茜さん(39歳)。東京・丸の内で働いていた彼女が移住したのは、宮崎県児湯郡(こゆぐん)新富町。東京での仕事もしつつ、宮崎で暮らす二拠点生活を2018年にスタートさせました。

<移住の経歴>移住前|東京都千代田区大手町駅かいわい/移住後|宮崎県児湯郡新富町/2017年1月 退職し、フリーランスの広報として独立/2018年1月 移住スタート。9月まで地域商社の広報として働く/2019年10月 地域おこし協力隊となった上で地域商社へ出向する形で仕事を継続/2020年12月 地域おこし協力隊を退職し、東京に戻る/2021年~ 東京生活を再スタート。広報・ブランディング全般をひとりで担当。

 東京での会社員時代は、「好きで働いていたものの、多くの仕事を抱えていた」という小野さん。その後2017年に退職し、フリーランスの広報に転向します。

 「当時は夢中で走っていたのであまり気づかなかったのですが、辞めたときに、精神的にも肉体的にも時間的にも余裕がないことが分かりました。それらを俯瞰(ふかん)し、総体的に見たときに、『東京に疲れたな』と思ってしまったんです」

 宮崎には縁もゆかりもなかったそう。前職時代、地方創生関係を担当していたため、他社の地方創生事業担当の人に「一緒に宮崎へ視察に行きませんか」と誘われ、1度だけ訪れたのが宮崎県でした。

 視察の夜に地元の方との交流会で紹介されたのが、後に宮崎との縁を作ってくれた人。退職直後にたまたまイベントで再会し、『宮崎で仕事をしない?』と誘われたことをきっかけに、真剣に移住を考えるように。

 その仕事内容とは、地元の商社での広報の立ち上げ。前職の経験を十分に生かせると思った小野さんは、誘われてから2回ほど宮崎に行き、2回目には住むマンションも契約してすぐに移住します。

 ただ、フリーランスの広報としても働いていた小野さん。東京でしかできない仕事が多くありました。そこで東京で借りていたマンションは一旦解約し、関東にある実家に拠点を置くことに。そこと宮崎との「二拠点生活」をスタート。人生の大きな転機の一つを迎えることになりました。

宮崎名物・日向夏(ひゅうが)の畑
宮崎名物・日向夏(ひゅうが)の畑

地方移住を経験後、東京に戻ることを選択

 およそ3年間の二拠点生活を満喫していた小野さん。しかし、2020年の12月に宮崎での生活を解消。生活の拠点を東京に戻すことに。なぜだったのでしょうか。

 「一つは、東京の仕事が拡大して多忙になり、宮崎にいられる時間が作れなかったこと。2つ目は、私には東京での仕事のほうが楽しいと感じたことでした。スピード感や規模感、仕事に対してのスタンスや考え方、描くビジョンなど、当然かもしれませんが大きな違いがあります。良しあしではなく、私は東京がいい、という判断を下したことも事実です」

 ただ、「落ち着いたら、また戻ることも考えている」と小野さん。「地方移住に興味があるなら、どんどんチャレンジしたほうがいいと思います。失うものより、得られるもののほうが多いはずですよ」

 次のページからは、小野さんが移住で感じた「メリット」「デメリット」と、これから移住を考えている人へのアドバイスを紹介します。