その服、誰のために着てる?
それなら明日は、お気に入りの服を着て出かけようか。
身長が高く、かっこいいと言われるタイプの女子大生・マミが、大好きなロリータファッションに身を包むことへの喜びと葛藤を描いたマンガ『着たい服がある』。自分の嗜好がマジョリティーではないことは、ちゃんと理解している。みんなと同じであるほうが生きやすいこの世界から逸脱してしまう恐怖もある(この辺りのことは、先に紹介した『私がオバさんになったよ』のなかで中野信子さんが脳科学的根拠を踏まえて詳しく説明しているので、セットで薦めたい。私ったら、デキる本屋)。
それにしても、自分で稼いだお金で買った、大好きな洋服である。ビタ一文出していない他人に、なぜとやかく言われなければならないのか。洋服は誰のために着ているのかって、少なくとも通りすがりに指をさして笑うような人間のためではないはずだ。
しかし、まだマミはそこまで開き直れない。服装によって他人に与える印象は強く、着たいものを着ることによって失うものや、増える苦労もあるだろう。自分だって、相手の見た目で好感を持ったり、不信感を抱いたりすることはある。
だが、着たい服も、食べたいものも、行きたいところもある人生は、自分で叶(かな)えることができる。誰かに幸せにしてもらうなんて不確実で気の遠くなる願望を持つより、よっぽど健全で簡単ではないか。自分が何によって幸福な気持ちになるのかを知っていれば、もはや「ほぼ幸福確実」と言えるだろう。
雨は憂うつである。でも、雨の日にあの本を読みたい。雨の日にあの曲を聴きたい。雨だからあの服を着たい。そういう気持ちを一つずつ叶えてあげれば、あっという間に梅雨は終わっている。
文/新井見枝香 構成/樋口可奈子