あなたのための特別な本を、目利き力に定評があるカリスマ書店員が選びます。月替わりでお薦め本を選んでくれる当企画の7回目は、東京・日比谷のHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE店長・花田菜々子さん。静かな秋の夜長に読みたい2冊を選んでくれました。

書店員にとっても「秋は特別な季節」

 書店員に読書の秋などというものは存在しない。秋でも読書するが夏でも冬でも読書するし、なんならお盆も正月もクリスマスイブも読書しているからである。しかし、そうは言ってもやはり秋は特別。本を読んで自分の中の自分と会話するような、「もの思い」が似合う季節なのかもしれない。

『ものするひと』

書くこと、言葉にすることの魅力を思い知らせてくれる一冊

 秋になると、汗が噴き出すような熱いストーリーの青春小説よりは、ゆるやかな思索にふけらせてくれる静かな物語が読みたくなる。

 『ものするひと』はまさにそんな漫画である。「ものする」は書くことの婉曲(えんきょく)表現であり、すなわちタイトルの「ものするひと」とは作家を意味している。主人公の杉浦紺は純文学の作家だが、それだけでは食べていけずに警備員のアルバイトをしている。物語は彼とその友人たちを中心に進み、何ということのない日常がやわらかいタッチで描かれる。漠然と将来への不安を覚えたり、文学賞にノミネートされてそわそわしたり、恋愛のようで恋愛でない関係に戸惑ったりしながら、それでも主人公の関心は書くことにある。

 私たちは、なぜ何かを書き留めておきたいと思うのだろう。主人公が持つ、書くことへの執着やためらいを追体験することで、書くとは、言葉にするとは、こんなにも魅力的なことだったのかとあらためて思い知らされる。それが文章によってではなく漫画によって描かれる、というところも何とも味わい深いねじれだ。

 読んだ後は思わず影響されて自分の行動や心の動きに文学的ナレーションを入れたくなってしまうし、作中に出てくるポメラ(現代のワープロともいえるテキスト入力専用機。愛用している作家も多いらしい)で夜中にぽつぽつと文章を書いてみたいなあと思ってしまう。

 また、この漫画の魅力を語るうえでどうしても外せないのが作中で登場する「たほいや」という遊びだ。広辞苑を使った遊びで、誰も知らないような難しい単語を抜き出し、参加者がおのおの「それっぽい」意味を捏造(ねつぞう)し、どれが本当の意味かを当てるというようなゲームなのだが、これが本当に楽しそうなのだ。そんな小ネタも含め、言葉が好きな人にとってはたまらない作品だ。

 秋の夜長に、友達との家飲みでまったりチルなムードになったら、本棚の隅でほこりをかぶっている広辞苑を取り出して「たほいや」で盛り上がるのもいいかもしれない。

オカヤイヅミ『ものするひと』全3巻。1~2巻は各720円、3巻は820円(いずれも税抜)、KADOKAWA