酪農の経験はなし 何度も失敗しながら学んだ
しかし、酪農の経験がないため、すべてが手探り。放れ牛たちを誘導するのにも苦労した。「最初はすぐに逃げられ、近づけませんでした。何度も失敗しながら学んだんです」。牧場に通いやすい場所に住むために、復興要員のみが立ち入ることができる町でコンビニの夜間スタッフとなり、居住許可を獲得。空き時間には塾の講師をして、生活費を稼いだ。そんな熱心な姿が共感を呼び、地域の協力者も増えている。
最初は近づくこともままならなかった牛にも、愛着が湧いた。現在飼育する11頭のうち、震災前から生きている牛は3頭。16年に、そのうちの1頭と、震災前にいた牛舎を訪れた際、突然駆けだし、「自分の場所」とでもいうように“定位置”らしき場所にピタリと収まり、ボロボロと涙を流して鳴き始めた。「それを見て、4〜5年前の記憶があると感じました。賢いんです」
震災から9年。今、谷さんは新たな取り組みに挑んでいる。「現在の大熊町は、ガスも電気も、水道も通っていません。そんな最低条件の場所で私ひとりでできる農業なら、過疎地で、老人だけでも再現できると考えています。今、牛を使い、最小限の人手で農地の整備と農業とを行う循環システムを構想中です。原発被災地であるこの町から、日本を救うイノベーションを起こしたいんです」
谷 咲月さんへの一問一答
Q1
ストレス解消法は?
A
人に話してストレスを感じさせてしまうと嫌なので、牛に話します(笑)。せいぜい「モフッ!」と答えてくれる程度で、右から左へと受け流すので、こちらも気楽なんです。
Q2
尊敬する人は?
A
たくさんいますが、奴隷貿易廃止に尽力し、英国王立動物虐待防止協会を設立した英国の政治家、ウィルバーフォースに影響を受けました。
Q3
最近、うれしかったことは?
A
地元の方から手紙をいただいたこと。それから、2019年の「日本復興の光大賞」(日本トルコ文化交流会主催)に選んでいただけたこと。
Q4
東日本大震災から9年たち、思うことは?
A
「もうこんなにたっちゃったの!?」という気持ち。二度と犠牲を出さない仕組みをつくりたいのに、全然進んでいないと、毎年痛感します。
取材・文/西尾英子 写真/冨田 望、谷 咲月(夏の活動写真)
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