陸上競技女子3000m障害の、日本記録保持者である早狩実紀さん。将来は全く見えないけれど「今、走りたい!」の思いで44歳から陸上一本の人生を歩む、彼女のストーリーを紹介します。

早狩実紀さん
1972年京都府生まれ。同志社大学卒業後、三和銀行、光華女子学園職員などを経て、プロアスリートとして米・ニューメキシコ州アルバカーキと京都を行き来しながら競技を継続。全国インターハイや国体で陸上競技3000m優勝。800mや1500mなどでも日本陸上競技選手権大会優勝。91年に世界陸上東京大会3000m出場。世界陸上大会の実施種目になった2005年から女子3000m障害に取り組み、35歳で9分33秒93の日本記録を出して北京五輪に出場した。18年世界マスターズ陸上2000m障害で世界新で優勝。

「停滞の壁」に苦しんだ20代後半

 2019年6月、陸上競技日本選手権女子3000m障害の予選で、最下位でゴールした選手に観客席から大きな声援が送られた。その選手とは約30年もの間、国内トップレベルで走り続ける早狩実紀さん(47歳)だ。1990年の国体陸上女子3000mで日本高校記録を樹立し、大学に進学した91年に世界選手権東京大会に出場。卒業後は実業団などに所属し、五輪出場を目指した。

 だが、20代後半に入ると記録もモチベーションも停滞する壁にぶち当たった。届きそうで届かない五輪の扉。「私はなぜ、まだ走っているのか」とふと立ち止まり、結婚や出産などライフイベントを迎えていく同世代の女性と自分を照らし合わせた。

 一方、マラソン選手の高橋尚子さんや短距離選手の朝原宣治さんといった同級生が五輪で活躍する姿をテレビで見ながら、「自分にはまだ伸びしろがあるのに」と、「停滞の壁」にもがき苦しんだ。

 1人でいると負のスパイラルに陥る。気分転換を兼ねて旅行に行ったり、陸上以外の世界にも友達の輪を広げたりした。そこで分かったのは、世界が違ってもみんな壁を乗り越えようともがいていること。目の前の霧が晴れるかのように、前を向いて練習に取り組めるようになった。

35歳でつかむ 悲願の北京五輪代表の座

 そんな矢先、3000m障害が世界陸上の女子正式種目になり、32歳でチャレンジを決意。高さ76.2cmのハードルを28回、水濠(ごう)を7回越える過酷な競技。ケガもしやすく周囲に心配されたが、不安より新しい挑戦への楽しみのほうが強く、35歳で悲願の北京五輪代表の座をつかみ取る。「自分の気持ちが前に向くことを、選択し続けた結果だと思います」

学校職員を辞め、44歳で陸上一本の人生へ

 2017年、大きな決断をした。長年勤めた学校職員を退職。指導者というセカンドキャリアも用意されていたが、「仕事と競技に中途半端に関わるより、今競技に専念したいという思いに正直になりたかった。想像できる未来より、何が起こるか分からないほうがワクワクします」。1年後、年齢に関係なく走り続ける彼女の姿に感銘を受け、応援したいという企業がスポンサーに名乗り出てくれた。

 若い頃はタイムや順位が自分の価値だった。今は自分の走る姿が誰かの喜びや励みになることに、数字や結果と同等の価値を感じ、達成感に。決勝に残れなくても「日本選手権に出場できた自分、えらい」と思えるようになったという。

 「10年前、46歳(インタビュー当時)の自分が走っているとは想像できませんでした。10年後も想像がつかない。でも、『やりたい』と思える自分の気持ちに従っていれば、幸せに、機嫌よくやっていると思います