私にとっての二人の恩人(メンター)

 私には「この人に付きたい」と思った社会学者の故・吉田民人(よしだ・たみと)さんがいて、その先生を追いかけて、京都大学の大学院に行きました。吉田さんはその後東京大学に異動されましたが、私が生涯の師と仰ぐ人です。

 故・山口昌男(やまぐち・まさお)さんも私のメンターの一人です。山口さんと私は分野も出身も大学も違います。つまり何の利害関係もなかったのですが、「面白いヤツがいる。じゃあ、やらせてみようか」と仕事のチャンスをたくさんくださいました。とても愉快な方で山口学派というものをつくらなかった稀有(けう)な学者です。

 吉田さんと山口さんは私の人生においてとても大事なメンターの役割をしてくださった方で、生涯頭が上がりません。

 子分をつくらなかったこのお二人のような人でないと女性を引き立ててはくれません。やはり男性は権力を好む生き物です。組織内でホモソーシャルな集団を作り、親分は子分に、資源を分配します。その資源とは「カネ」と「ポスト」。そして、ポストには「権力」が付いてきます。

 一方で、私がずっとやってきたことは組織の枠外にある市民活動(編集部注・上野さんは、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)です。そこには分配する資源としてのカネもポストもありません。市民活動の報酬は「この人と何か一緒にやってみると面白そうだ」「一緒にやって、ああ、楽しかった」と思ってもらうことしかないのです。

※男女共同参画社会実現に寄与することを目的として、女性の情報や活動の相互交流の場を提供し、女性のネットワークの構築と、女性のエンパワーメントに寄与する事業を行う団体。略称はWAN。

意思決定権を持つ人がジェンダーコンシャスに決定権を行使することが大事

 さて、話を戻します。先ほど申し上げたように、メンターは、組織内で配分できる資源を持っています。私のメンターは「シンポジウムにノミネートする」「物を書く機会を与える」というふうに、私にチャンスという資源をくれました。その期待に一つずつ応えるのはこちらの責任でした

 また、メンターは「意思決定権」を持っている人でもあります。ジャーナリストの治部れんげさんが朝日新聞のコラムでこのように書いていました。「ジェンダー平等の重要性について『話す』人はたくさんいるけれど、意思決定権者がそれを実行に移す例は多くない」と。その記事に言及されていた津田大介さんはジェンダー平等について語り、意思決定権を行使した、数少ない人の一人でした。

 津田さんはあいちトリエンナーレ2019の芸術監督を務めていたときに、自身の意思決定権を行使して、参加作家の男女比率をほぼ均等にしました。また、朝日新聞の論壇時評の論壇委員会メンバーを引き受けるときも、6人いる論壇委員が男女半々になることを条件にしたそうです。このように、意思決定権を持つ人がジェンダーコンシャスに決定権を行使しない限りジェンダーギャップは埋まりません