2021年秋、18年半アナウンサーとして勤務したテレビ朝日を退職し、スタートアップの旅行会社、令和トラベルに転職した大木優紀さん。その大木さんに、20代、30代、40代でそれぞれやめたこと、始めたことを聞きました。前編は20代、30代。きらきらした笑顔の裏側に迫ります。(doors特選シリーズ/2022年9 月2日の記事を再公開します)

(上)元テレ朝アナ大木優紀 仕事、結婚、出産…全力疾走で ←今回はここ
(下)大木優紀 41歳テレ朝アナ辞め、スタートアップ企業へ

全力で駆け抜けた20代

取材冒頭で、「根掘り葉掘り、聞かせてほしい」と伝えると、大木さんは「何でも聞いてください!」と快諾してくれた
取材冒頭で、「根掘り葉掘り、聞かせてほしい」と伝えると、大木さんは「何でも聞いてください!」と快諾してくれた

 今、41歳になって振り返ると、20代、30代、40代は、それぞれの年代で大きなターニングポイントがあったように思います。私は、10年に1度ぐらいのタイミングで、何か大きな変化を求めるタイプなのかもしれません。

 20代は、テレビ局でアナウンサーという仕事を始めたという意味で、私にとってとても大事な年代でした。アナウンサーは、たまたま巡り合った仕事でした。高校時代に大学生が講師を務める塾に通っていたところ、2歳年上の女性の講師から「大木さんはアナウンサーに向いていると思う」と勧められたのがきっかけです。そのアドバイスを真に受けて採用試験を受けてみたら、奇跡的にアナウンサーとして内定をいただけました。「宝くじに当たった! せっかくつかんだこのチャンスは逃すまい」という勢いでアナウンサーの仕事に就いたというのが正直なところです。

 入社後は仕事が楽しくて楽しくてあっという間に10年が過ぎました。時代も違ったので、仕事のシフトが毎日パンパンに詰まっていて、体力的にも大変な部分もあり、体を壊したり、仕事に穴を空けたりしないよう、細心の注意を払いながら、夢中で全力疾走していました。情報や報道、バラエティー、スポーツ、音楽など、さまざまなジャンルの番組を一通り経験させてもらって、少し立ち止まって自分のキャリアを俯瞰(ふかん)していたタイミングで出会ったのが今の夫です。

 夫はテレビで私を見ていて「この人に会ってみたい」と思い立ったそうで、私の小学校からの親友を通じて紹介されました。私の性格をよく知っている幼なじみが、とても自然に誘い出してくれたのが、よかったのだと思います。当時、私はとても出無精だったので。