あの夜の後、しばらくの間、警備の男やペンギンが追ってくるのではないかと不安で、緊張しながら毎日を過ごしていた。しかし一向に何もなく、夢だったのかもしれないとさえ感じはじめていた。でも、あの廊下に脱ぎ捨ててしまったお気に入りだったパンプスは、確かに家の靴箱からは姿を消してしまった。

 時間が経つにつれて、逆にまたあの場所に行ってみたいような気持ちになっていった。何より、一つだけ開けそびれた最後の金色のドアの向こうが、気になって仕方がなかった。金色なのだから、きっと特別で、どの部屋よりも素敵な何かがあったのかもしれない。あるいは、最も危険な部屋だったのかもしれない。しかし、あの建物が一体、どの辺りにあったのかさえ、うまく思い出せなかった。思えばあのバーは、看板一つ出ていなかった。私が誤解された例の先生とやらも探そうとしたが、自由について語っている人物はあまりに多すぎて、これも突き止めることができていない。

 あの日私は、自分を信じるしかなかった。自分に期待しないことに慣れはじめていた毎日の中で、それは久しぶりの感覚だった。

 どうしようもない状況だったけど、乗り越えた後に分かった。

 私は、逃げたいわけじゃない。無難に過ごしたいわけでもない。

 私は私を試したい。そして前に進みたい。

 いつかまた、あんな気持ちになれるようなドアを開けることができるだろうか?

 ふと休憩室の、くすんだ白いドアを見た。もしかしたらこのドアの向こうだって、そう信じた瞬間から、自分を変える場所になるのかもしれない。

 窓の外では、よく晴れた冬の空に白い月が浮かんでいた。その部屋には私たち二人以外、誰もいなくて静かだった。ユミさんも窓の外を見ていた。柔らかそうな雲が太陽を覆い、私はあの日見知らぬ青年が語った雲のような自由のことを思い出した。

 手が震える。心臓の音が響く体を動かして、私は、ユミさんの背中にそっと手を置いた。彼女にあの日のことを話そう、そして一緒に、全く新しい気持ちでこの部屋のドアを開けよう、そう思った。雲はいつのまにか遠くへと流れ、隠れていた眩しい光が私たちを照らした。その光ははじめからずっとそこにあったのだと思った。

文/関口 舞 イラスト/くぐはら ひろ