世の中よ、はやく変わってくれ

 「まあでも、やっぱり子供がいる女性に管理職を任せると安心できるよね。いろんな理不尽なことに対しても、乗り越えてきているわけだから」

 尊敬している年上の方々が話している場にたまたま居合わせてこの言葉を聞いたとき、自分は透明人間だったっけ? と疑った。一方、耳に入ってきた言葉を拒絶しようとすればするほど、自分の気持ちにはしっかりとした輪郭が帯びていく。

 「そうですかね。私の周りには、子供がいなくても、優秀な女性がたくさんいますけど」

 私ができるだけ無邪気なふりをして口に出すとすぐ、とっさに誰かが「た、確かにね! いろんな人がいるよね」と言った。変な空気にして申し訳ない、でも、こういう時にヘラヘラするとその夜悲しくて眠れなくなるんだよな。私は透明人間じゃないし。

 その場にいる人たちが次々にフォローして、空気を正常化しようとする。

 「まあいいじゃない。君もまだ子供を持つチャンスは全然あるわけだし」

 「そういうことじゃないんです。そういう決めつけは良くないってことよね?」

 「いやあ、僕も時代遅れでした。良くない偏見でしたね」

 私が子供を持つチャンスがあるかどうかは、誰かが言ってくれたとおり関係ない。ちなみに時代がどうこうという問題でもない。ていうかこの人、私とか部下とか、周りにいる独身子なし女性のこと、どう思ってんだろ? 今この瞬間も、小娘のくせに生意気だと思われただろうか? これだから長い期間彼氏もできないんだよ、とか思われてたりもするかな。

 もともとの発言者が自分の意見を「良くない偏見」と言及したところで空気はいびつな原状回復を果たし、話題は 「最近食べたうまいメシ」に移っていく。

 帰り道、ざわざわし続ける心を「誰かに『それは良くない偏見』と分かってもらえたならば、言った意味がある」となで付けてみたけれど気が収まらず、友人にLINEする。

 「マジ? クソじゃん」

 「信じられないね~、ちゃんと指摘してえらい。お疲れさまでした」

 「えらかったよ~! 今日はご自愛して、ゆっくり眠って!」

 友人たちからの返信の数々。手をつなぐように、私たちは共感しあい、互いを慰める。

 世の中よ、はやく変わってくれ。

 そう願いながら、悲しい記憶を遠ざける夜を、これまでいくつ過ごしただろう。

「世の中よ、はやく変わってくれ。そう願いながら、悲しい記憶を遠ざける夜を、これまでいくつ過ごしただろう」
「世の中よ、はやく変わってくれ。そう願いながら、悲しい記憶を遠ざける夜を、これまでいくつ過ごしただろう」