誰かを「推す」ことはキレイな感情だけではない

 「恋」や「愛」はあらゆるドラマや小説で「エモーショナル」に語られがちなのに、「推す」という感情は、あまりにも「経済的」に語られすぎている。どちらも経済を回している要素に違いないのに、だ。「推しエコノミー」とか、「推し活経済圏」とか、「ヲタクが経済を回す」とか、「推し」 について世の中が面白がるのはいつも、その思いによって生まれる「カネ」の話ばかりである。

 あるいは、「推し」に関するポジティブな感情ばかりだとも思う。「推しを見ていると元気が出る」「推しのおかげで毎日頑張れる」「コロナ禍には推しに癒やされた」など。「推し活」とはつまりアクティビティーであり、経済活動につながる趣味なので、ポジティブな感情が発露するのはよく分かる。

 しかし「誰かを応援する」「誰かに心底夢中になる」って、そんなにキレイな感情ばかりなものだろうか。人間同士の営みの中に、そんなユートピアが存在するのか。

 2020年、宇佐美りんさんが『推し、燃ゆ』(河出書房新社)という、「推し」について書いた小説を出版して話題になったが、そこには、決して「キレイ」 な感情だけが書かれているわけではない。しかしだからこそ、心に迫る文章として多くの人の印象に残り続けているのではないだろうか。

 最近の「推し活ブーム」を見ていると、あまりにも「陽」の面ばかりに光が当たっているような気がする。しかし、本当に「推しビジネス」 を進化させるのは 「陰」の部分なのではないかと思う。何より「ヲタク」を自称し、ヲタ活を日常的に行う人がいる今、その陰の部分にこそ、共感が集まるであろうし、目を向けるべきトピックがたくさんあると思うのだ。