その一つはEUから輸入する商品の値下げです。すでに述べたようにワインは2月1日の協定発効と同時に関税が即時撤廃されました。衣類も4.4%から13.4%の関税が即時ゼロになりました。今後はナチュラルチーズにかかっていた29.8%の関税が16年目に、チョコレート菓子にかかっていた10%の関税が11年目にゼロになります。バッグ類も2.7%から18%の関税が11年目に撤廃されます。

 欧州産のワインや食べ物、ファッションなどが安くなり、より手に入れやすくなるのは朗報ですよね。しかも高級ブランドの衣類やバッグには高価格品が多いので、値下げされる金額自体も大きくなるはずです。

 一方、これらの商品を扱う企業にとって関税撤廃はビジネスチャンスにほかなりません。とりわけ老後への不安や働き方改革による残業代の減少などで節約志向を強めている消費者にとって、値下げの効果は大きいからです。

日欧EPAの概要。関税撤廃などの措置のほか、知的財産権の保護や紛争処理についてのルール作りも対象となる
日欧EPAの概要。関税撤廃などの措置のほか、知的財産権の保護や紛争処理についてのルール作りも対象となる

 実際、明治屋の旗艦店である広尾ストアーのワイン売り場には、これまではあまり目立たなかった客層が訪れるようになっています。「欧州産のワインが買い求めやすくなったことで、土、日に広尾に食事に来られた女性のグループなどが帰りがけに購入してくださるようになりました。今までにはなかったことです」と小作健(こさくけん)さん(小売事業本部 広尾ストアー 店長代理)は言います。

 広尾ストアーでは2018年10月、日欧EPAを見据えて欧州産の商品が多いチーズ売り場を2倍に拡張しました。今後、欧州産チーズの値段が下がっていくにつれて、ワインとの相乗効果によってさらに新たな客層を開拓するに違いありません。

明治屋の広尾ストアーは2018年10月、チーズ売り場を2倍に拡張
明治屋の広尾ストアーは2018年10月、チーズ売り場を2倍に拡張

EPAが私たちの仕事に前向きな影響を与える

 企業にとってのビジネスチャンスはそれだけではありません。日欧EPAの発効は、日本からEUへの輸出を伸ばすチャンスでもあります。日本の輸出品では、しょうゆ(関税は7.7%)や緑茶(同0%から3.2%)、水産物(同0%から26%)などの関税が即時撤廃されました。今後は乗用車にかかっていた10%の関税が8年目にゼロになります。品質やブランド力のある日本の商品が値下げされれば、欧州での競争力はいっそう高まります。輸出品のメーカーや卸などの企業が売り上げを伸ばすチャンスなのです。

 そして、ここが大切なポイントですが、企業にとってのビジネスチャンスは働く私たちのやりがいを高めてくれます。なぜなら、そこにビジネスパーソンにとっての新たな挑戦や創意工夫の余地が生まれるからです。例えば日欧EPAのメリットを国内のお客に理解してもらったり、逆に日本の商品の良さを欧州の消費者に訴えたりする仕事です。西方さんの仕事に変化が生じているように、日欧EPAは関係する多くのビジネスパーソンの仕事に前向きな影響を与えてくれるはずです。

 逆に言えば、輸入品に関税をかけ合う米中貿易戦争のような保護主義は、企業のビジネスチャンスを潰し、私たちのやりがいを奪いかねません。自由貿易は単なるお題目ではなく、私たちの生活を潤し、仕事にやりがいを与えてくれる生きた経済の仕組みなのです。

「生産者と直接コミュニケーションを取れるのが、この仕事の醍醐味です」(西方さん)
「生産者と直接コミュニケーションを取れるのが、この仕事の醍醐味です」(西方さん)

16カ国の巨大EPA「RCEP」が交渉中

 ちなみに日本は今、日欧EPAに続いて、東アジア地域包括的経済連携(RCEP=アールセップ)や日本・トルコ経済連携協定などの締結を目指し、各国と交渉を続けています。

 中でもRCEPは、インドネシアやシンガポール、タイなどの東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に加えて、中国、インド、オーストラリアなどの計15カ国、日本を含めて16カ国にまたがる協定で、世界人口の約半分の34億人、世界のGDPの3割にあたる20兆ドル、世界の貿易総額の約3割に当たる10兆ドルを占める巨大な自由経済圏の実現を目指します。

 これが発効すれば、ASEANからの安価な果物や海産物などの輸入が増えて私たちの食卓を変えたり、中国やインドへの輸出を手がける企業に大きなビジネスチャンスが生まれたりと、生活や仕事に大きな影響を及ぼすでしょう。

 RCEPの締結に向けて、今後も閣僚会合が緊密に行われていく予定です。「締結そして発効へ」というニュースを目にするのはそれほど遠くないかもしれません。

取材・文/渋谷和宏 写真/鈴木愛子