キャッシュレス決済の受容性が急速に高まった

 「600」はなぜ短期間でここまでの成果を上げられたのでしょうか。「600」が社会とビジネス環境の変化をとらえたからだと私は見ています。キャッシュレス決済の普及と、それが可能にした店舗の無人化です。

 読者の皆さんも日々実感されているかと思いますが、キャッシュレス決済はこの1~2年ですっかり身近になりました。従来のクレジットカードやプリペイドカードに加えて、大手IT企業や大手コンビニチェーンがQRコードを使ったスマホ決済サービスに乗り出し、利用者を獲得するためのキャンペーンを繰り広げたからです。

 大手IT企業や大手コンビニチェーンがQRコードを使ったスマホ決済サービスに乗り出した背景には、政府の方針がありました。政府は2017年に発表した「未来投資戦略2017」の中に、「2027年までに現金以外での決済の比率を現在(注、2017年時点)の2割台から4割以上へと増やす」との計画を盛り込んだのです。これにはキャッシュレス化を進めて、キャッシュレス決済に慣れた外国人観光客の買い物を増やしたい狙いが込められていました。またキャッシュレス決済では金銭の授受がデータとして残るので、脱税を防ぐ効果も政府は期待しています。こうした官民挙げての情報発信や取り組みが短期間でのキャッシュレス決済の普及をもたらしたのです。

 キャッシュレス決済の普及は、店舗の無人化の可能性を開きました。キャッシュレス決済に慣れたことで、店員とやりとりせず、1人で買い物を完結できる消費者が増え、店員をレジに張り付けておく必要性が薄れていったからです。しかもIT(情報技術)の進歩は、値段などの商品情報の確実なやりとりや、インターネットに接続した防犯カメラによるセキュリティーの確保など、店舗の無人化に不可欠な技術、システムを実用化しました。

 こうした消費者の変化──少し難しい言葉を使えばキャッシュレス決済と店舗の無人化への社会的受容性の高まりが、ICタグで商品情報を管理し、クレジットカードで決済する「600」の「出店」を後押ししているのは間違いありません。これが3年前だったら、果たしてこれほどの好スタートを切れたでしょうか。

 加えて屋内ならどこにでも設置でき、無人で運営できる「600」は昨今の人手不足の深刻化も追い風にしています。

 「600」は久保社長の個人的な体験から出発したと阿部さんは教えてくれましたが、徒歩1分から数分圏内という至近の場所に店があってほしい思いを抱いている人は他にも少なくないでしょう。「昼時はエレベーターが混雑してビルの外に出るのに15分も20分もかかってしまう。オフィスと同じフロアにコンビニがあり、エレベーターを使わずに行けたらどんなに便利で時間節約になるだろう?」「高層マンションの共有スペースに食料品や日用品が買える店を設置できれば入居者を増やせるのに」──こんなふうに思われた人は読者の中にもきっといらっしゃるはずです。

 これらを実現するハードルは人手不足によって年々上がっています。仮に上記のような理由からコンビニなどに出店を要請しても、「オフィスビル内にもう1店舗出店すると、アルバイトが確保できなくなる」「高層マンション1棟分の売り上げでは、人件費の上昇分を吸収できず、採算が取れない」などといった理由から断られてしまうかもしれません。屋内であればどこにでも設置でき、しかも無人で運営できる「600」なら、これらの需要に応えられるのです。

進むカスタマイズで「マイコンビニ」ができる

 キャッシュレス決済の普及とそれがもたらす店舗の無人化──2つの変化を捉えた「600」は今後どのように進化していくのでしょうか。私は「マイコンビニ」の実現も可能だと見ています。

「キャッシュレスになることで利用者のビッグデータが取れる『無人コンビニ』は、私たちの生活を変えていくインパクトがあります」
「キャッシュレスになることで利用者のビッグデータが取れる『無人コンビニ』は、私たちの生活を変えていくインパクトがあります」

 オフィスやマンションの1フロアに設置する「600」は商圏つまり潜在的な利用者がいるエリアを、スーパーの半径5kmはもちろんコンビニの半径500mよりもずっと狭い、半径50mに設定しています。しかもICタグなどで詳細な購買データを把握しているので、「技術者の多いフロアでは栄養ドリンクやコーヒーの売り上げが大きい」「女性比率が高いフロアでは野菜ジュースが好まれる」といったように、設置した「600」ごとに売れ行きを把握できます。さらにLINEなどのSNSを利用して「こんな商品が欲しい」という要望を「600」のサポート担当社員に出せる仕組みも設けています。

 これらを活用すれば、設置した「600」それぞれを、利用者たちが常に手近にあって欲しい商品だけを並べた「マイコンビニ」にカスタマイズしていく、つまり好みの店に作り変えていくことができるのです。必要な物、欲しい物がすぐ近くにある利用者たちにとっては、もはや買い置きをする必要がなくなるはずです。

 それだけではありません。「600」は場所だけでなく生活・行動の場面ごとにカスタマイズされた「マイコンビニ」にもなり得ます。「600」の今後の展開について、阿部さんはこんな目標を話してくれました。「実は女子トイレ向けの『600』を考えているんです。冷蔵ではなく常温の『600』に、化粧品や生理用品、ティッシュ、メーク用品を並べたらどうかと。女子社員にとってオフィスのトイレは一息入れる場所でもあるんですよ。欲しい物、必要な物があれば買ってくれるのではと思います」

 阿部さんは2018年1月、創業者である久保社長が始めた600の事業に強く興味を引かれ、それまで勤めていたベンチャーキャピタルを退職し600に加わりました。「600」のアイデアは社会を変えられるかもしれないと胸が高鳴ったのに加え、土日だけでなく水曜日が休みの週休3日制を採用し、効率的な仕事ぶりが求められる600なら、子育て中の母親である自分にとって働きやすい職場に違いないと考えたからです。

 「どこに、どんな物を並べたら売れるだろうか。これはどんな場面で売れるだろうか。そう考えるのは楽しいですね。それがもしかしたら私たちの買い物、消費行動を変え、世の中をより便利にするかもしれないのですからなおさらです。600に加わって良かったと思います」

 阿部さんたちの挑戦は続きます。

取材・文/渋谷和宏 写真/鈴木愛子