29歳で迎えた岐路、「スペシャリスト」or「ジェネラリスト」

 「一定のキャリアを積んだ30歳くらいになると、局アナは2つの道を考えるようになります。1つは、アナウンサー業を極めて『スペシャリスト』として活躍する道。もう1つは、他部署に異動してオールラウンドに活躍し、将来的には組織のマネジメントをする『ジェネラリスト』を目指す道です。

 私も29歳の頃に、スペシャリストになるかジェネラリストになるかで悩んでいました。ジェネラリストになるなら、早めに方向転換してより多くの部署を経験し、『人』と『モノ(=番組)』と『お金』の流れを深く理解したほうが、マネジメント能力を養えると思ったからです。

 しかし、当時私が選んだのはスペシャリストとして生きる道でした。小さい頃からテレビっ子で、『テレビの向こう側の人になりたい』と憧れてテレビ局に入社したため、『ずっと番組づくりに携わっていきたい』という思いがあったからです」

 青木さんが幼い頃に好んで見ていたテレビ番組は、エンタメ系の情報番組やバラエティー番組だった。

 「私自身、ずっとエンタメから幸せをもらってきました。エンタメには人を幸せにする力があって、その魅力を伝えられるアナウンサーの仕事が面白いと感じていたのです。自分が輝くのではなく、紹介する対象が輝く。人や作品、コンテンツなどの魅力を分かりやすく伝えることに喜びを感じていたので、スペシャリストとしてのアナウンサーの道を選び、30代からはスタジオで収録する情報番組やバラエティー番組などにより深く携わっていきたいと思うようになりました」

「ずっとエンタメから幸せをもらってきた」という青木さん。エンタメの魅力を伝えたいという思いが、ある決断へとつながった
「ずっとエンタメから幸せをもらってきた」という青木さん。エンタメの魅力を伝えたいという思いが、ある決断へとつながった