前例のない決断、スポーツ実況から離れた真意とは?

 しかし、青木さんは当時、情報番組やバラエティー番組だけでなく、スポーツ実況も数多く担当していた。「与えてもらった仕事は何でも一生懸命する」ことを信条にし、どの仕事にも全力で取り組んだ結果、スポーツ実況の中でも花形ともいえるプロ野球中継や、箱根駅伝の実況も任されるようになっていた。

 「スポーツ実況の仕事が増えていくうちに、だんだん『これは本当に自分がしたいことなのか?』と葛藤を感じるようになりました。もちろん実況の仕事には高い技術が必要で、スポーツ実況の経験を積むことも、アナウンサーとして誇れる道の一つだと思います。でも、自分が本当にやりたいと思っていたことは、入社時から変わらず、エンタメの魅力を伝えることだったのです」

青木さんは、自分のやりたいことを突き詰めていきたいタイプだという
青木さんは、自分のやりたいことを突き詰めていきたいタイプだという

 「面談の際に、上司に『これからはスポーツ実況をせずに、情報番組やバラエティー番組などのスタジオ収録の仕事をしたいです』と伝えました。男性アナウンサーが『実況をしない』と意思表示するのは前例がないことだったので、伝えるときにはすごく勇気が必要でしたね。

 しかし、実況をすればするほど、自分が本当にしたい情報番組やバラエティー番組に出られなくなっていったので、伝えるしかなかった。もし受け入れてもらえなかったら、『他部署に異動してジェネラリストとして生きていこう』と腹をくくっていました。いわば、スペシャリストとしての最後の勝負だったんです」

 この決断は、上層部からは反対され、アナウンス部の先輩たちからも、「せっかく実況の力も身に付いてきてステップアップできているのに、どうして?」と首をひねられたのだという。

 しかし、最終的にはある上司が青木さんの覚悟に理解を示し、「情報番組やバラエティー番組から声がかからなくなったら、アナウンス部からの異動対象となる」という条件のもと、「実況から離れる」という決断を受け入れてくれた。

 「理想は両方をバランスよくできることですが、自分にそれができるとは思えなかったんです。どちらも中途半端になりそうな気がしました。不器用なのかもしれませんが、私には1つに絞るやり方が合っています。やると決めたことを、とことん突き詰めたいタイプなんです」