入社後は「マリー・アントワネット」と言われたことも
祖父に安心してもらえた一方で、赤城フーズに入社してからの毎日は、順調とは言いがたい日々だった。一般企業で働いたことのなかった遠山さんは、入社してすぐに会社の即戦力になれたわけではない。1日でも早く入社して、1つでも多く仕事を覚えたい一心で、退団から2週間後には入社したが、思いだけでは何もできない日々が続いたという。
「張り切って入社したものの、社員さんとうまくコミュニケーションがとれず、すれ違うことも多々ありました。後になって、『継ぐと言って入社したけど、実際は結婚するまでの腰掛けだと思っていた』と、告白されたこともあります。それまで歌や踊りしかしてこなかった子が、突然入ってきたわけですから、そう思われても仕方ないですよね(苦笑)」
「仕事は見て覚える」という風潮が残っていた職場で、「6代目見習い」の遠山さんが特別扱いされることはなかった。最初の1週間は指示をもらって仕事をしていたが、2週目からは指示もなくなり、自分で覚えることを探して学んでいった。
2年たって常務になってからも、自分を飛ばして社長である父親のところに報告や相談などが持ち込まれる状態で、肩書と実態が伴わない日々が続いていた。「そんなとき、会社があるトラブルに見舞われて、状況を把握できていない私が見当違いのことを言ってしまったんです。場を和ませようと思って発した一言だったんですが、それが裏目に出てしまって……。『考え方がマリー・アントワネットみたいだ』と言われました」
18世紀のフランスで、国民が飢えに苦しんでいたときに、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったとされるマリー・アントワネット。「宝塚の人気演目『ベルサイユのばら』に登場する人物でもあるので、『彼女にたとえるなんてうまい!』と、今なら言えます(笑)。でも、当時はやはりショックでしたね。自分としては、ただ必死に頑張っていたときなので……」
そうした出来事を乗り越えながら、必要だと思うことを手当たり次第に勉強していった遠山さん。入社1年目には、地元の商工会議所などが実施する簿記やExcel、Word、POP作りなどの講座を受講し、入社2年目の2006年4月には、産業能率大学の経営コース(通信教育課程)に入学。「ここで勉強すれば、後継者に必要な経営の知識を身に付けられる」と信じて、働きながら大学で学ぶことを選択した。
宝塚退団後13年かけて社長に就任 私の武器は努力だけ(下) に続く
取材・文/茅島奈緒深 写真/赤城フーズ提供