社会や経済が不安定な今、「自分で決めて行動していく力」は人生において必須のスキル。とはいえ、人生の岐路に立ったときに、何を軸にして決断すればいいのか…。そこでこの連載では、各分野で活躍している人たちに「人生を左右した決断」をインタビュー。今回は、宝塚歌劇団を退団して家業を継ぎ、「カリカリ梅」の開発メーカーとして有名な「赤城フーズ」の代表となった遠山昌子さん(41歳)の「決断」に迫ります。

(上)元タカラジェンヌの決断 不安はあるけど迷いはなかった
(下)宝塚退団後13年かけて社長に就任 私の武器は努力だけ ←今回はここ

赤城フーズ代表。1979年生まれ、群馬県前橋市出身。高校卒業後に宝塚音楽学校へ入学し、その後、宝塚歌劇団に入団。宙組(そらぐみ)の男役として5年間活躍し、25歳のときに「カリカリ梅」の開発メーカーとして有名な「赤城フーズ」を継ぐために退団。同社で働きながら通信制の大学で経営を学び、「熱中カリカリ梅」や「梅ジェンヌ」などのヒット商品を発売。2018年に代表就任。10歳と8歳の2児の母でもある
赤城フーズ代表。1979年生まれ、群馬県前橋市出身。高校卒業後に宝塚音楽学校へ入学し、その後、宝塚歌劇団に入団。宙組(そらぐみ)の男役として5年間活躍し、25歳のときに「カリカリ梅」の開発メーカーとして有名な「赤城フーズ」を継ぐために退団。同社で働きながら通信制の大学で経営を学び、「熱中カリカリ梅」や「梅ジェンヌ」などのヒット商品を発売。2018年に代表就任。10歳と8歳の2児の母でもある

順風満帆とは言えなかった宝塚退団後

 遠山さんは、祖父の体調不良をきっかけに、5年間活躍した宝塚歌劇団を退団。家業の「赤城フーズ」を継ぐために同社で働き始めた。しかし、一般企業で働いた経験がなかったため、入社してすぐに即戦力になれたわけではなかった。それどころか周囲とのコミュニケーションもうまくいかず、順調とはいえない毎日が続いた。

 「家族に恩返しをする」という思いで決めた道とはいえ、うまくいかない日々。遠山さんは、この苦難をどう乗り越えたのだろうか。

この記事の前に読んでほしい記事はこちら↓
元タカラジェンヌの決断 不安はあるけど迷いはなかった(上)