入社から1年後、急きょ社長見習に

 入社後、竹内さんが最初に配属されたのは、開発部。「モノづくりの会社だから、まずはモノを作るプロセスを知っておくべきだと父に言われて、製品図面の描き方を学んだり、工場の生産管理などを行ったりしていました」

 ところが翌11年に父親の別の病気が発覚し、長期療養が必要な状況に。そこで急きょ、竹内さんが取締役総務部長に就任し、社長見習として社内の意思決定に関わることになった。「自分が想定していたよりも早い段階で経営に携わることになり、正直、不安な気持ちが大きかったですね」

 とはいえ、仕事は待ってはくれない。ここから、竹内さんの老舗改革が始まった。

 「突っ張り棒は誰もが知っている定番商品ですが、市場が成長する余地はあまりなく、価格競争がどんどん進んでいて、このままいくと頭打ちになる危機感がありました。利益が出ている今に甘んじて次の手を考えなければ、5年後には赤字になるかもしれない。新しい打ち手を考えて、早く会社を成長路線に乗せなければと焦っていました」

 しかし、経営状態は悪くなく、安定した売り上げもある。そのせいか、社内はどこかのんびりとした雰囲気で、竹内さんの危機意識はなかなか伝わらなかった。

 「正直、最初は1人で空回りしている状態でしたね。私はビジョンを掲げてチームが進むべき方向を示すことは得意ですが、ビジョンを戦略・戦術に落とし込んで実行していくことは苦手で。その苦手な部分をサポートし、同じ熱量で一緒に会社の改革を進めてくれる『相棒』がほしいと思うようになりました」

 その相棒として選んだのが、当時、県庁で働いていた夫の一紘さんだった。

 「夫には日ごろから仕事の相談をしていたのですが、いつも的確なアドバイスをくれて、頼りになる存在でした。私が通っていた経営学セミナーに夫も通っていましたし、2人で新規事業のアイデアを出し合っていたので、『だったら平安伸銅工業に入社して、一緒に会社を経営してほしい』と声をかけたんです」

 ところが、夫の返事はNO。理由は、夫婦が別の仕事をしているほうがリスクマネジメントになるから。妻が中小企業の経営者として冒険するなら、自分は何があっても家族を支えていけるように、安定した公務員でいたほうがいい――。夫婦で意見が分かれ、すぐに一紘さんが平安伸銅工業に入社することはなかった。

 しかし、諦めきれない竹内さんは、1年がかりで夫を説得。「情に訴えたり、理詰めで話したり、あの手この手で説き伏せました。最後は、『何が何でも一緒にやる』という私の気迫を感じたことと、『私が平安伸銅工業に入社するのを後押ししたのは自分だから』という責任感から、OKをもらえたのかもしれません(笑)」

 こうして14年4月に、夫である一紘さんが入社。心強い相棒を得たことで、事業が大きく動き始めた。


 続く下編「夫婦で事業軌道に乗せるも育休後アイデンティティー崩壊」では、新規事業が成功するまでの紆余曲折(うよきょくせつ)や、育児休業後に陥ったアイデンティティーの崩壊などについてお伝えします。

下編「夫婦で事業軌道に乗せるも育休後アイデンティティー崩壊」では、次のストーリーを展開

■夫の入社後、複数の新規プロジェクトを同時進行
■もっとユーザー視点に、「ダサい」イメージを変えたい
■インテリア性の高い斬新な商品を展開できた理由は?
■夫が足りないピースに気づき、膠着状態から脱出
■育児休業から復帰後、アイデンティティーが崩壊
■何を基準にして進むべき道を決めている?

取材・文/西尾英子 写真/平安伸銅工業提供