この連載では、各分野で活躍している人たちに「人生を左右した決断」についてインタビュー。今回は、新聞記者として活躍後、「突っ張り棒」で有名な平安伸銅工業の3代目社長となった竹内香予子さんの「決断」に迫ります。

(上)新聞社辞め突っ張り棒社長に「家業は継ぎたくなかった」 ←今回はここ
(下)夫婦で事業軌道に乗せるも育休後アイデンティティー崩壊

竹内香予子(たけうち・かよこ)
竹内香予子(たけうち・かよこ)
1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、新聞社に入社。新聞記者として働く。2009年、27歳のときに新聞社を退職し、翌10年に父親が経営する平安伸銅工業に入社。14年には夫である竹内一紘さんも同社に入社。15年、32歳で代表に就任。19年に、突っ張り棒の企画開発で培ったノウハウを生かして「つっぱり棒研究所」を設立。20年、37歳で長女を出産。現在は「つっぱり棒博士」として多数のメディアにも出演

ファミリービジネスへの苦手意識「絶対に継ぎたくない」

 「子どもの頃から、家業だけは絶対に継ぎたくないと思っていました」

 部屋の空間を有効活用できるアイテムとしておなじみの「突っ張り棒」。竹内香予子さんは、その「突っ張り棒」で有名な平安伸銅工業の3代目社長だ。

 家業を継ぎたくなかった理由について、竹内さんは「ファミリービジネスへの苦手意識があった」と明かす。

 「平安伸銅工業は祖父が始めた会社ですが、子どもの頃から経営方針やお金の話で祖父と父の意見がすれ違い、家族の関係性が一時的にギクシャクする場面をよく見てきました。それがしんどくて、家業は絶対に継ぎたくないと思っていて。公私が一緒になる大変さを分かっていた父からも、子どものときに『継いでくれ』と言われたことは一度もありません。『将来は自分の好きなようにすればいい』と言われて育ちました」

 一方で、「女性も手に職をつけるなどして自立したほうがいい」という祖父の考えに影響を受け、子どもの頃から専門職として働くことに関心が高かった竹内さん。「情報を伝えることで社会をよりよく変えていく一助になれたら」という思いから新聞記者を志し、大学卒業後は新聞社に入社。入社後は、滋賀県で警察や行政、地域ネタなどの取材を担当していた。

 「新聞記者時代に楽しかったのは、取材を通して地域の人や地元企業、行政の人たちと仲良くなること。自分たちの生活や社会をよりよくするために働いている人たちに話を聞くことが好きでした」

 しかし、入社から2~3年たった頃から、「理想と現実のギャップ」に悩むようになったという。