日経doors編集長コラムが今月からスタートします。編集長の鈴木陽子が普段の取材活動や編集部での出来事などを通じて得た気付きなどをつづっていきます。

 皆さんこんにちは、日経doors編集長の鈴木陽子です。いつもご愛読いただきありがとうございます。今月から、編集長コラムをスタートすることになりました。さまざまなテーマでお届けできればと思います。

 さて、初回は、6月に展開した特集「どう産む・どう働く」にちなんで、働く女性の人生における妊娠・出産について思いを馳せながら、私の体験談の一部をお伝えしたいと思います。

 社会進出や晩婚化、ライフスタイルの変化で「20代のうちに」「今すぐ」出産することを考えていない、あるいは考えてこなかった女性は多いと思います。私もまさにそうでした。20代のうちは自分の好きなことに取り組みたい、遊びたい、羽を伸ばしたい。20代後半から断然仕事が面白くなって、自分の時間は仕事と遊びに費やすという生活パターンを送っていました。結婚はしていましたが、「子どもはまだまだ、そのうちね」という気持ちでした。正直、妊娠・出産と向き合いたくない気持ちもありました。

コウノトリは知識なくしてやって来ない

 後に私は、その認識が甘かったことを突き付けられます。「そろそろ子どもを……」と考え始めたのは30歳になってからですが、結局、コウノトリさんがやって来るまで8年もかかってしまいました。まさかここまで時間がかかるとは思いもしていませんでした。

 妊娠力のピークは20代前半だといわれています。いわゆる妊娠適齢期と呼ばれているフェーズです。これを初めて知ったときの私は30代後半。とてもショックでした。20代前半なんてとうの昔だし、新社会人としてがむしゃらに頑張っていた頃。とうてい「妊娠のピークだから子どもを産まなきゃ」なんていう発想にはなりません。現在のライフスタイルと、女性のデリケートなカラダがマッチしていないことを、痛いほど実感しました。

 卵子は、女性が胎児の時(つまり、まだお母さんのおなかにいる時)に卵胞として作られます。女性が生を受けてからは、年を重ねるごとに卵胞は数を減らしていきます。卵子として成長したものを一つずつ排卵していきますが、老化も進んで行きます。限りあるものなのです。子宮や卵子の老化は私たちを待ってくれません。数が減っていき老化が進む一方だという仕組みを知った時も大きな驚きでした。あまりに自分の体のことを知らなかった。

 私自身は、30歳を過ぎてから避妊をやめ、自己流の妊活に取り組みました。あくまでも「自己流」。最初の1~2年は自然に任せる形で。生理日からだいたいの排卵日を数えるという、今思えばいい加減なやり方でした。仕事や遊びの量は特に減らさず、食事や睡眠、運動はかなり適当。「丁寧な暮らし」からは程遠い、行き当たりばったりの生活習慣と自分都合の妊活でした。でも、「ちょっと無理してはいるけど……元気だから、健康だから」と信じて疑わなかった私は、妊娠できると本気で思っていました。

 3年が経過し、基礎体温を測ることを取り入れました。毎日体温を測るのはけっこう大変です。起き抜けに測るのですが、途中で寝落ちしたり、体温計のスイッチがうまく入っていなかったりなど、慣れないうちは失敗することが多々ありました。

 「そんなんじゃだめだ」と気合を入れて寝ぼけながらも計測。地道な作業が続きました。排卵日をかなり正確に見極められるようになったものの、その日に限って帰宅が遅かったり、疲れていたりして、「排卵スケジュールに合わせた妊活」を実現させる難しさに直面します。「自己流妊活はかなり無理ゲー」と限界を感じ、ようやく婦人科の扉をたたきました。

 実は、私と同世代の女性の友人は、結婚・妊娠後に仕事を辞めて家事・育児に専念しているか、独身でバリバリと転職・留学・昇進をこなしているかの二択で、「妊娠したいけど妊娠できない」という悩みを共有できずにいました。婦人科の扉をたたいたのは、婦人科疾患にかかり治療を終えた友人のすすめが大きかったかもしれません。「名医がいるよ」という一言で、「そうか、婦人科に行ってみようか」という選択肢が初めて生まれたのでした。