必死で壁を押し続けたら、違う景色が見えてきた

 17年間サマンサタバサジャパンリミテッド(以下、サマンサ)で頑張って、正社員を一度辞めてパラレルキャリアという新しい働き方にしようと思ったとき、なぜあんなに頑張ってこられたのだろうと振り返り改めて気づいたのが、「大手芸能プロダクションに貢献も成果も出せずに去ってしまったあのときと同じ気持ちをもう感じたくない」ということでした。

<世永さんを支えてきた思い>
・やり切ることができなかったあの2年間の思いは、二度と繰り返さない
・サマンサで何かを得るまで、自分のスイッチが入るまでは頑張ってみる

 実際にそれが原動力だったことに気づいたのは、40代になってからの最近です。24歳でサマンサに来た瞬間からモードを切り替えられたわけではなく、10年くらいはうじうじしていました(笑)。もちろん目の前の与えられたことにがむしゃらに取り組んできましたが、明確なミッションやリーダーになりたいという夢があったわけではありません。30歳を過ぎて、壁にぶつかりながらもやっと仕事が楽しいと思えるようになっていきました。壁を乗り越えられたというよりは、必死で壁を押しながら何とか前にきたら、ちょっと違う景色が見えてきたという感じです。

 転職した当時のサマンサは、まだ社員数50人程度で知名度も低く、ゴミ箱は段ボールで代用、パソコンは二人で1台、商品梱包も自分たちでするという規模でした。壁には「目指せ日本一」と書かれた紙が貼ってあって、立ち上げた広報部も私と社長だけ。「大変なところにきちゃったな」というのが第一印象です。

 私の場合は最初から一人の部署だったこともあり、きちんとリーダーとして任されたという時期は曖昧ですが、25歳くらいでスタッフを育てるという役割をしていました。でも、リーダーになったという思いよりは、自分と一緒に働くメンバーに対して「この頑張っている子を守らないといけない」とか「何か失敗があったときに絶対傷付いてほしくない」という気持ちで接していることが多かったのです。