始めたばかりの就活だけれど、正直、うまくこなせると思ってた。けれど、見よう見まねで用意していった自己PRと志望動機は、ぼろぼろに打ち砕かれた。

 自分でしゃべってても嘘くさいし、説得力がない。言葉が上滑りする。汗がにじむ。自分の声がよく聞こえない。
 とどめは面接官のひと言だった。
「ほんとうにあなたのやりたいことは何なの? それが伝わってこない」
 40歳手前ぐらいのきれいな人で、口調が意地悪じゃなかっただけに、かえってこたえる。

 やりたいこと? なんですか、それは?
 私が知りたいです。
 なにもわからない。自分に自信がもてない。
 こんなことは生まれて初めてだ。

 「ふん、あんたはいいよね」
 目の前の、何の苦労も知らなそうなきれいなフラペチーノをにらんでいると、つい涙が出そうになった。

 と、次の瞬間、視界の右端に、もう一つフラペチーノが現れた。
 右隣のスツールに他のお客さんが座ってきたのだ。私は反射的に「あ、すみません」と体をずらしチラ見して、ギョッとした。

 その女の人は、店の中で相当浮いていた。
 褪せた紺のつなぎの作業服には、ところどころ土汚れがついている。ぼさぼさの髪を手ぬぐいでまとめ、化粧っけはほとんどない。
 20代半ばだろうか。手も顔も日焼けしている。一瞬、やばい人かなと思ったけれど、変な匂いはしないし、むしろ、みずみずしい植物の香りが漂う。どこか清潔感のある人だった。

 彼女はスツールにどかっと腰かけると、「ふーっ」とため息をついた。そのままタバコでもふかしそうな“労働者の休憩っぽさ”に目が離せない。

 彼女は続けて、目の前のフラペチーノにストローをブスッと差し込み、全体をぐるぐるかき混ぜ始めた。華奢なトッピングと芸術的なホイップが、みるみるうちに崩れていく。

「あ」
 つい私は声を上げてしまう。
「なに?」
 声は思いのほか優しい。
「いえ、その」
「ああ、これ?」
 言いながら、彼女はかき混ぜる手を止めない。コーヒーとミルクと氷とクリームとがしっかりと攪拌され、もはやほとんど「白茶色い水」だ。
 彼女はストローを外して、ぐいっとその液体をあおった。一気に半分ほど飲み干して、微笑む。私はつられて、
「でも、それじゃあ、最初からラテとか、そういうのを頼んだほうがいいんじゃないですか? フラペチーノの必要ないっていうか、もったいないっていうか」と言った。
「あー、それ友達にもよく言われるんだけどねえ」
「はぁ」
「普通じゃないってのは分かってる」
 彼女はいたずらっぽく周囲を見渡した。店内にはもちろん、彼女みたいな格好をしてる人もいないし、フラペチーノをそんな風に飲んでる人もいない。
「そうですか……。私なんて、つい人の目を気にしちゃって」
 私は唐突に、さっきまでの暗い気持ちを取り戻した。
 無難で器用貧乏な私は、これからどうすればいいんだろう?
 彼女は、私の落ち込みなんて気にもとめず、ふたたびカップをまるで湯飲みのようにつかんだ。
「普通じゃないかもしれないけどさ、自分の飲みたい飲み方で飲むと」
「飲むと……?」
「おいしいでしょ?」
「はあ」
「飲みたいように飲むと、おいしい」
「はあ」
「って、当たり前か!」
 彼女は、にかっと笑うと、もう半分を氷ごと一気に飲み干した。つぶらな瞳がよく動く人だった。
「じゃあ、私行くね」
「え、あ、はい」
「就活? 大変そうだね、がんばって」
 慣れた手つきでカップを分別ゴミ箱に捨て足早に出ていく。
 店の外のトラックに乗り込むのが見える。車体には「藤沢フラワーサービス」と書いてある。

 慌ただしい人だ。なんだったんだろう。
 私は目の前の手つかずのフラペチーノを改めて眺める。
 「飲みたいように飲む、ねえ」
 言われてみれば、これまで、どう飲むかなんて気にしたことなかった。
 どう撮ったらかわいく見えるかな、とか、そういうことばかり考えていた。で、写真を撮り終わったら適当につついて、適当にすすっておしまいだ。

 私はどんな風に飲みたいんだろう?
 あごに手を当ててひとしきり考えたのち、立ち上がってレジからスプーンをもらってきた。
 そして勢いよく上のホイップ部分をほとんど全部すくい、そのまま口いっぱいに含んだ。そんなこと、いままでしたことない。
 まむ。ふわふわとした香りが広がる。生クリーム感がすごい。
 けれど、思ったよりも舌触りが悪く、甘すぎて美味しくなかった。慌てて、苦いコーヒーを口に流し込む。失敗、失敗。

 思ったよりも美味しくなかったし、なによりも見た目が汚い。いかにも“飲みかけ”で無様だ。けれど私はそれを写真に撮った。光も暗いし、PCや後ろの人もいろいろ映り込むけど、かまわずシャッターを押す。
 SNSに上げかけたけれど、やめて、「お気に入り」フォルダに入れた。

 へへへ。
 私は満足だった。

 私には、やりたいことが、ない。
 見つけ方も、わからない。

 でもこうやって、人目を気にするのではなく、自分の心のおもむくままに行動していけば、いつか「それ」が見つかるかもしれない。
 そうだ、やりたいことの前に、まずは好きなことだ。好きなやり方だ、好き勝手なやり方だ。

 私は、開いたままだった画面に向き直り、猛然と書き始めた。
 フラペチーノをぐちゃぐちゃにして飲むこと、道ばたの小石を思いっきり蹴とばすこと、大きな犬の背中をがしがし撫でたい(飼ってないけど)、南の海で素っ裸で泳ぎたい……。

 目は画面に残したまま、傍らのカップをつかんでぐびりと飲む。ドンと音を立ててテーブルに戻し、さらにキーボードを打つ。
 溶けかけたフラペチーノは水っぽくて、薄甘くて、変に苦くて、でも、ちょっと美味しかった。
 〈完〉

文/茉野いおた イラスト/南夏希