人生には、しばしば「踊り場」のようなタイミングが訪れます。がむしゃらに階段を登ってきた足をしばし止め、惑い、揺れる時期。「このまま登っていいのかな」「今までの道のりは正しかったのかな」。そんなときに、横で励ましてくれる人、「だいじょうぶだよ」と認めてくれる人、トンと背中を押してくれる人が、一人でもいたら……。人生の転機を迎えた女性が、なにげない出会いを通じて一歩踏み出す、“救い”のショートストーリーを毎月お届けします。

ミサキ
33歳、会社員。社内報の制作を担当。責任感が強く、自分の仕事はきちんとこなすしっかりもの。が、根っからの安定志向で新しいものに飛びつけない性格が悩み。大学時代はソフトボール部の主将。弟が二人いる。

 失敗がこわい。
 レールから外れるのがこわい。
 もしダメだったとき、戻れなくなるのがこわい。

 33歳にもなって、私には何かにチャレンジする勇気がない。

 いや、違うな。むしろこの年までいろいろ積み重ねてきたからこそ、なかなか冒険できないのだ。いろいろ分かってしまったからこそ、やみくもに挑戦できない。

 そんなことを考えながら、ひとり、ちびちびとハイボールを傾ける。
 金曜の8時過ぎ、最寄りの駅のいつもの焼き鳥のお店だ。店内はほどよく空いている。混むのはもう少し遅くなってからだ。

「今年中に意向だけでも聞かせてほしいんだけど。考えてみて」
 さっきまで、転職の打診を受けていた。以前目をかけてくれていた先輩が今は別の会社に移っていて、「よかったら来ないか」と誘ってくれたのだ。

 新卒で入社して10年あまり、33歳。転職するならいいタイミングだ。

 今の会社に不満がないと言ったらウソになる。
 社風も古いし、なかなか意見も通らない。

 先月なんて、広報誌をリニューアルするだけで大騒ぎになった。つい頭にきて会議で啖呵を切ったら、古い社員たちはどん引きしてたし、部長からは「言い方を考えろ」と叱られた。
 でも、あとで、別の部署の子から「応援してます」という社内メールが送られてきたのはうれしかったな。そうだ、今度一緒にランチでも食べよう。

 誘われている会社は、30人ぐらいのベンチャーで気風も若いし、やりがいもありそうだ。待遇もそれほど悪くない。

 でもなぜだろう、踏み出す勇気がない。冒険ができない。

 今の会社のほうが安定しているのは間違いない。いっぽう、転職先のことはなにも分からない。

 ブラックだったらどうしよう、話が違ったらどうしよう、その先輩が辞めてしまったらどうしようなどと、考え出すとキリがなくて、結局、今のままでいるほうがリスクが低い、という結論になる。保守的な性格の私には、結局今の会社がお似合いということか。

 私は、また一口ハイボールを流し込む。このお店のハイボールは濃さが絶妙で、いつもこればかり飲んでしまう。

 一歩足を踏み出したい。誰かに背中を押してほしい。
 でないと私は、変わり映えのしない会社で、ちょっとした不満と、そこそこの満足を胸に生きていくことになるだろう。

 いったいいつまで?
 そんなことを考えていたら、いつもの店の風景も色あせて見えてきた。

 長年通っているなじみのお店。見慣れたメニュー。安定のハイボール。
 でも、このお店の居心地のよさのせいで、商店街の他のお店に入ったことがない。たまには他のお店に行けばいいのに、つい足が遠のいてしまう。
 来週も、来月も、来年も、私はこのお店に来ていることだろう。それが私だ。

 せっかくもらった転職話なのに、かえって、自分の限界を突きつけられたようで、私はひどく落ち込んできた。酔いも手伝って涙が出そうになる。

 と、そのとき、入り口ののれんをかき分けて、ひとりの女性が入ってきた。見慣れない客だ。