自己嫌悪はどこから生まれるか

 小学生になってからは、クラスメイトの男の子たちはもちろん、ときには街中で会った知らない子どもや大人にも、心ない言葉をかけられることが増えました。

 印象に残っているエピソードは、公園で友達と遊んでいたら少し年上の知らない女の子が駆け寄ってきて「ねぇねぇ、あなた体重何キロ?」と聞いてきたことです。

 聞かれるがまま「○○キロだよ」と答えると、その女の子は元いた友達の輪に戻り、「あの子、○○キロなんだって〜」と遠目でニヤニヤ笑いながら私を観察。心がモヤモヤして悲しい気持ちになりました。

 でも、最初は「意地悪なことをされているのだ」という事実にさえ気付くことができませんでした。知らない人が、体形や見た目だけを理由にいきなり意地悪をしてくることがあるなんて、想像もしなかったからです。

 もし、なぐられたり、ハサミで切りつけられたりするなど肉体的に痛いことをされたら、子どもの私でも攻撃されているのだとすぐに分かったはずです。反発したり、助けを求めたりすることもできたかもしれません。でも、私を深く傷つけていったのは、「いじめ」にまでは達しないような、言われたことがない人からすれば「ささいなこと」とも感じられるであろう「言葉」や「態度」の数々でした。

 怒って言い返したり、ブタの鳴きマネなどの自虐をしたりするほどの勇気がなかったことは言うまでもありません。担任の教師に「太り過ぎだ」とお説教されたこともあったぐらいで、「太っている自分がいけないんだ」と黙ってその場をやり過ごし、家に帰ってから泣くことが何度もありました。

 気付くと私は、私の体も顔も大嫌いで、写真に写っている自分を見るのが耐えられませんでした。よく「もう少し目が大きかったら」「もう少し鼻が高かったら」と言う女性がいますが、私の自己嫌悪感は、そういった微調整で済むレベルではなくなっていました。存在自体からして、もうダメだと思っていました。「自分の体の居心地が悪い」という感覚に苦しむようになったのです。


 連載第2回では、思春期の経験について話してもらいます。

文/吉野なお 編集/加藤藍子(日経doors編集部)