貧しかった幼少期 母が言った「引き取ってごめんね」
当時、大学院生だった母・フローラは教授になる夢を持っていたそうです。しかし私と出会ったことで、大学教授の地位よりも私との養子縁組を選び、その後私が8歳のときに二人で来日しました。
養子縁組といえば、経済的に裕福な家に引き取ってもらうことが多いけれど、私たちの生活はとても貧しいものでした。それでも、二人でどん底からはい上がってきました。
私が30歳になった頃、母は「私が引き取らなかったら、あなたの人生はもっと楽だったのに。苦労をさせてごめんね」と言ったんです。母がそこまで罪悪感を持っていたとは、気づきませんでした。
けれど、母にはそんな思いを持っていてほしくない。母がいてくれたから、今の私がいるんです。もしも、裕福な家庭に引き取られ、苦労もせずに育っていたら――、今の私は存在していないでしょう。私たちが出会ったのは単なる巡り合わせではなく、必然だったのだと思います。
母からもらった愛 次へつなぎたい
大学教授になる夢をかなえるのではなく、私との養子縁組を選んだ母。私と出会っていなければ、結婚もし、自分が産んだ子どもも持てたでしょう。なぜ、そこまでしてくれたのか、母に尋ねたことがあります。
すると、「だって、目の前に手を伸ばしてきた子どもがいたら、あなたはその手を払いのけるの? そんなことは、しないでしょう。私は当たり前のことをしただけ。普通のことよ」。なぜそれを特別と思うの?と、逆に尋ねられました。
私の原動力は、紛れもなく母です。母の背中を見て育ち、母の愛を知ったからこそ、今度は私が、親のいない子どもたちや居場所のない子どもたちに愛を与えたい。
切っても切れない血縁関係も、大事なこと。ですが、血のつながりだけではなく、お互いが尊重し合い、どう向き合うか、どう響き合うかも大切なのではないでしょうか。それを母から学べた私は、とても幸せものだと思います。