イランに生まれて孤児院で育ち、養子縁組をした養母と8歳のときに来日した、俳優のサヘル・ローズさん。外国人であることへの差別やいじめ、母子家庭ゆえの貧困を経験した彼女が、自らの体験を語り、同じ悩みを持つ人たちにそっと寄り添うよう言葉をつむいだ『言葉の花束』を上梓しました。前編では、養母・フローラさんとの出会いと、家族の形について話を聞きました。
前編 サヘル・ローズ 戦禍で孤児に 養母への強い思い ←今回はここ
後編 サヘル・ローズ 苦しさをさらけ出し、誰かを支えたい
私が発した「ママ」の一言 養母との出会い
イランと隣国のイラクが戦争をしていた時期。戦渦で国が困窮していた時代にイランで生まれ、身寄りをなくした私は、4歳のときに施設(孤児院)で暮らすことを余儀なくされました。ずらりとベッドが並ぶ部屋での共同生活は、「自分一人の空間」がなく、とてもしんどいものでした。
養母であるフローラと出会ったのは7歳のときです。彼女はまだ大学院生でした。フローラが施設を訪問したとき、私は彼女に向かって「ママ」と呼んだそうです。のちにフローラに聞いたところ、子どもたちから「ママ」と呼ばれたのは、私が初めてだったとか。彼女はその言葉を聞いたとき、曽祖母(フローラにとって祖母)との約束を思い出したそうです。それは、「あなたには将来、孤児を育ててほしい」ということ。
曽祖母は、さまざまな養護施設を回り、熱心に子どもたちのケアをしている人でした。家庭の事情があり曽祖母に育てられたフローラ。血のつながりのない子どもたちと接する曽祖母の背中を見て育ち、感銘を受けたのだと思います。私が「ママ」と呼んだとき、「私が育てるのはこの子だ」と直感し、私の手を握ったそうです。でも、私は覚えていないのですよね。
当時、施設の職員さんたちからは、訪問してきた大人たちに向けて「とにかく笑いなさい」と言われていました。なぜなら、かわいい笑顔を振りまけば、引き取ってもらえるチャンスにつながるからです。施設では年齢が大きくなるほど、引き取られる可能性は低くなります。
私はなぜ、初めて会ったフローラに「ママ」と言ったのか。はっきりと理由は覚えていないけれど、7歳の私はチャンスが減ってきていることに、気づいていたのだと思います。あとはただ、誰かにすがりつきたかった。必死でした。