「母のように生きていきたい」と退社を決意

―― 体にも不調のサインが出てきたのでしょうか。

竹脇 だんだんと、眠れない夜が増えてきました。漠然とした人生の不安が出てきて、気持ちがざわざわして寝つきも悪くなりました。出勤中も電車が駅に止まるたびになぜか涙が出たこともあります。ちょうどその頃は仕事も忙しくて、「ちゃんとやりたい」という責任感でがんじがらめになっていました。そんな気持ちを夫に話したら「休んだほうがいい」と言われました。

 私はどういう生き方がしたいんだろう。そう考えたとき、思い浮かんだのは母の顔でした。母は地元の秋田で長年フィットネスインストラクターとして、自分の健康維持のために、そしてレッスンを楽しみにしてくれる生徒さんたちのために働いてきた人です。好きなことを仕事にしていて、60歳近くなってもはつらつと生きている母のようになりたい。それで、仕事を辞めて、ヨガインストラクターを目指すことにしました。

―― 退職後は単身でLAとインドに渡り、ヨガを学びました。本場で学びたいという気持ちからですか?

竹脇 私は日本でしか生活したことがなかったので、夫のグローバルな価値観にずっと憧れがあったんです。夫も「ヨガの勉強をするなら、海外も選択肢の一つだよね」と言ってくれ、思い切って一人で学びに行きました。海外の文化に触れて、働き方に対する考えも大きく変化しました。インドでは動物性の食品を一切とらないヴィーガン食も経験。今はもうやっていませんが、このインドでの体験で食に対する価値観もかなり変わりました。