失敗と思った高校退学は、音楽への道の始まりだった

「自分で『失敗』という烙印を押すことが、『失敗』だと思う」
「自分で『失敗』という烙印を押すことが、『失敗』だと思う」

 その後は両親と相談し、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)の予備校に通うことに。高校を退学になったからといって腐ったりせず、止まらずに行動に移したんです。いつまでも落ち込んだり、気持ちを引きずったりして、前に進めないでいるほうが苦しかったので。

 その予備校で出合ったのが、ヒップホップ。予備校の登校初日にまたしても喧嘩(けんか)に巻き込まれてしまうのだけれど、そのときヒップホップのDJをしているという同級生と仲良くなって。それまで、音楽に興味のある人が周囲にいなかったから、一気にのめり込みましたね。

 その後短大に合格し、20歳のときに、友人からの誘いで突然ジャマイカへ行くことに。なぜジャマイカに?と思われるかもしれないけれど、そのときはなぜか「行かなきゃ!」と駆り立てられる思いでした。アルバイト代でコツコツためたヒップホップのレコードを売り払い、その代金で飛行機のチケットを買って、いざジャマイカへ。そこで僕はレゲエに出合い、虜(とりこ)になった。そしてそれは、その後の湘南乃風へとつながっていく出合いでもありました。

 よく、「失敗は成功のもと」「失敗は自ら進んでしたほうがよい」なんていわれるけれど、あながち間違っていないと、僕は思う。「失敗」と言ってしまうから「失敗」なのであって、「失敗」と思わなければ「失敗」ではないんじゃないかな。自分で「失敗」という烙印(らくいん)を押すことが、「失敗」だと思うんです。

デビュー前の決断で気づいたこと

 湘南乃風としてデビューする前の、24歳のとき。ある決断をしました。

 当時、結婚前の妻と一緒に暮らしていて、「これから、どうしていくの?」と真剣に話し合ったことがありました。僕はそのとき、「26歳までにデビューできなかったら、音楽はやめる」と決意したんです。

 その頃は、生計を立てていたアルバイトも中途半端だったし、音楽もなんだかんだと言い訳をしながら100%集中できていなくて。このままでは自分自身もだめになってしまうと思ったし、何より彼女との関係がだめになってしまうのを危惧したんです。できるか分からない約束だったけれど、半ば強引に自分と約束しました。

「大切なのは、今起きていることを認めて、受け入れること」
「大切なのは、今起きていることを認めて、受け入れること」

 そのとき、彼女はこう言いました。「26歳までは、音楽に集中していいよ。もしも音楽がうまくいかなかったとしても、例えば海の近くのマンションで管理人の仕事をしながら、つつましくても幸せな家庭を築いていこう」と。僕が建築系の短大を卒業していたから、彼女はマンションの管理人をやろうと言い出したのかもしれません。けれどそのとき僕は、「その人生も、いいな」と思えたんです。何より彼女となら、音楽の道へ進まなくても、幸せな生活が送れると想像できたから。

 もちろん、ミュージシャンになる未来というのは華やかで素晴らしいかもしれない。両親に期待された人生からドロップアウトし、ヒップホップに出合ってから、「音楽を仕事にしたい」と多くの時間を音楽に費やしてきたから、捨てるのはもったいないという気持ちも確かにありました。

 結果としては、リミットを決めたことで音楽に集中でき、26歳でデビュー。けれど、ミュージシャンではなくマンションの管理人になっていても、あるいは他の仕事に就いていたとしても、「この生活を選んでよかった」と、僕は「今を受け入れた」と思うんです。