日経xwoman doorsの新聞広告などでモデルも務めている山本亜依さん(26歳)。AKB48チーム8(エイト)で活動した後、俳優に転向した山本さんにこれまでの歩みを聞きました。「アイドルは保育園時代からの夢だった」「小学校3年生からバンド活動を始め、高校ではダンスに打ち込んだ」…など、好奇心旺盛に力強くキャリアを積んできた山本さんの話はエネルギーに満ちています。

「アイドル志望」は保育園時代から

「保育園時代から『ミニモニ。』が大好き。生活の一部にアイドルがあった、という感じでした」(山本さん)
「保育園時代から『ミニモニ。』が大好き。生活の一部にアイドルがあった、という感じでした」(山本さん)

編集部(以下、――) 山本さんは1995年に三重県で生まれ、地元の高校を卒業するタイミングでアイドル活動を始めたそうですね。小さい頃は、どんなキャリアビジョンをお持ちだったのでしょう?

山本亜依さん(以下、山本) 保育園の頃から芸能界に入りたいと思っていました。「ミニモニ。」が大好きで、卒園アルバムにもミニモニ。メンバー4人の横に5人目で私を入れて、東京ドームでコンサートをしている絵を描きました。人前で歌ったり踊ったりするのが本当に好きで、園内でコンサートを開かせてもらったこともあるぐらいです。

 園内のステージで、仲良しの友達とミニモニ。の歌を歌って踊って……。言い出しっぺは私でした。後に自分がアイドルになったと聞いて、みんな「ああ、好きやったからな」「亜依ちゃん、あのときから憧れてたもんね」って言われました。

 初めて買ってもらったCDも「ミニモニ。」。家にはいまだに当時から見ていたモーニング娘。のビデオもたくさんあります。小学校入学時に買ってもらった文房具も全部アイドルグッズで、生活の一部にアイドルがあった、という感じでした。

 一番好きだったのはミニモニ。メンバーの加護亜依ちゃん。名前が同じだったというのもあるのかな。ミニモニ。のメンバーはみんな身長が低いのですが、歌もダンスも全力なので、踊っているときは大きく見えるんですよね。幼いながらも「かっこいい」って思っていました。

 もちろん当時は憧れでしかありませんでしたよ。でも、小学校3年生のときに転機が訪れたんです。小学校の担任の先生が音楽が大好きで、クラスの有志でバンドを組もうと呼びかけてくれました。私は喜んで参加し、徐々に地域のお祭りやイベントに呼ばれるようになり、県内のライブハウスでも演奏をしたりしていました。

 私はギター&ボーカル担当。手も小さくて指の皮膚も弱かったので、ギターを弾くと最初は手が痛くなったのですが、練習を経てだんだん指も強くなって。ガールズバンドのコピーをしたりしながら、中学2年生頃まで活動を続けました。