1990年代にデビューし、カラフルなスタイルや特徴的な動きでファッションにおいて鮮烈な「シノラー」ブームを巻き起こした篠原ともえさん。歌手や女優のほか、現在は衣装デザイナーやイラストレーター、ナレーターなどとして幅広く活躍し、昨年には夫とともにデザイン会社を立ち上げました。「シノラー」ブームを作り出した頃の思いや仕事との向き合い方を聞きました。

前編 篠原ともえ デザインを学び直した1年 不安の中で決断 ←今回はここ
後編 篠原ともえ ユーミン、嵐の衣装デザインで学んだこと

7月に渋谷ヒカリエで「SHIKAKU―シカクい生地と絵から生まれた服たち―」展を開催した篠原さん
7月に渋谷ヒカリエで「SHIKAKU―シカクい生地と絵から生まれた服たち―」展を開催した篠原さん

余り布を使った『SHIKAKU』展を開催

 「SHIKAKU―シカクい生地と絵から生まれた服たち―」展。これは洋服を作る過程でどうしても生じてしまう「余り布」に着目したサステナブルな展覧会だ。それをこの7月に開催したのは、篠原ともえさん。1990年代にデビューし、カラフルなファッションや特徴的な動きで「シノラー」ブームを巻き起こし、現在はファッションデザイナーとしても活躍。アーティストの松任谷由実さんや嵐のステージ衣装も担当してきた。

 そんな篠原さんにとってこの展覧会は新たな挑戦の場。これまでは衣装デザイナーとして「誰かが喜んでくれる」服を作ることを目指してきた。しかし今回はその想いを社会へ向け「自分がやるべきモノづくり」に取り組んだ。「そこに目を向けたとき、余り布がでないパターンに挑戦したいと思ったんです」

 衣装を作成する際、布を襟ぐりや袖の形に合わせて丸くカットしていく。するとどうしても切り落とした布、余り布が発生してしまう。「衣服製作の工程でも布を全体の70~80%しか使わないケースがほとんどで、残り30%近くはどうしても捨てることになってしまう。これを生かせないかと思ったんです。布を100%使い切ることを目指して、衣装や作品を作ってみようと思いました」

自分自身でのリブランディング

 テレビやラジオなどの仕事も一時的に休みをとって、創作の時間に充てることにした。 「活動を変えることを業界ではイメージチェンジといいますが、私は自分自身でのリブランディングに挑戦したといったところでしょうか。根本的な創作におけるさらなる高みを目指すための時間が必要でした。自分の思いを届けたいという願いの中で舵(かじ)を切った。ただ、作品のイメージが湧かないままスタートしたのでとても不安で怖かったんです

 大好きな仕事をセーブしてまでスタートした新たなチャレンジ。その決断に影響を与えたのは、篠原さんの夫で、アートディレクターの池澤樹さんの存在だ。