衣装デザイナーとして、松任谷由実さんやジャニーズグループ嵐の衣装デザインも手掛けた篠原さん。大きなチャンスをつかんだとき、「準備しておいたことが助けてくれた」と振り返ります。

前編 篠原ともえ デザインを学び直した1年 不安の中で決断
後編 篠原ともえ ユーミン、嵐の衣装デザイン 手に入れたチャンス ←今回はここ

7月に渋谷ヒカリエで「SHIKAKU―シカクい生地と絵から生まれた服たち―」展を開催。デザインから制作まで全てを行った作品を見つめる篠原さん
7月に渋谷ヒカリエで「SHIKAKU―シカクい生地と絵から生まれた服たち―」展を開催。デザインから制作まで全てを行った作品を見つめる篠原さん

画面もステージのように鮮やかに

 16歳で歌手としてデビューし、カラフルなスタイルや特徴的な動きでファッションにおける「シノラー」ブームを巻き起こした篠原ともえさん。その後はタレントや舞台、そしてステージ衣装のデザイナーなど活躍の幅がどんどん広がっていった。

 一見行き当たりばったりに見えるが、篠原さんは一貫して、「衣装」や「デザイン」にこだわりを持ち続けた。シノラーブームまっただ中、デザインしていたのは「自分自身」だった。

 「歌手としてライブをしながら、メディアのお仕事が増えていき、セットがあったり、華やかな世界でもあるテレビ画面はステージのようだなと。それなら画面の中をカラフルにしたいし、動きがあったほうがいいなと。ジャラジャラとたくさん腕輪があったほうがいい、おっきい指輪があったほうがいい、光っていたほうが楽しくなる。顔もさみしいからお化粧じゃなくてシールを貼っちゃおう。自分をまるでキャンバスみたいにして楽しんでいました

「舞台衣装をさせてください」

 そしてその後、ミュージカルや舞台のオファーの際には、衣装担当を買って出た。「やりたい気持ちを抑えなかった。衣装さんは決まっているんですか、決まっていなかったら、出演と共に舞台衣装をさせてください、と自らお願いしていました

 日頃から自分のステージならこんな衣装、舞台に立つならこんな衣装とイメージを膨らませ、時間があればデザイン画も描き、アイデアを蓄積させていった。そんな“下準備”が大きなチャンスをつかむことにつながった。それがアーティストの松任谷由実さんや嵐のステージ衣装の担当だ。