「また戻ってきてもいい」とチャレンジ

萬波 そうですね。自分の中では大きな決断でした。ただ、看護師の資格を持っていたので、いつでももう1度、一から勉強すればいいと思っていました。もともと医療の現場には興味が強かったので、また戻ってきたいなという気持ちもありました。

―― 表現する仕事の中でなぜ、モデルという仕事を選んだのでしょうか。

萬波 自分ができることはなんだろうと考えました。私は絵を描けないし、歌も歌えないし、服も作れない。でも、大学時代に友人に依頼されてモデルをしていたことを思い出し、モデルができるかもしれないと思いました。

 当時、服飾専門学校の学生が開催しているショーのモデルや知り合いのフォトグラファーの作品撮影に参加するなど、バイト感覚でモデルを経験していたんです。

 実はこんなこともありました。アートディレクターの友人が広告の撮影をするから、その撮影前にスタンドイン(配光、立ち位置を確認するといった照明や撮影の準備作業のために本番の代理をする人物のこと)してくれないかと言われて、参加したことがあるんです。

 それがよい出来だったようで「フォトグラファーのやる気がなくなってしまった」と言われたことがありました(笑)。その当時はモデルを仕事にしようとも食べていけるとも思っていませんでしたね。

大学時代にバイト感覚でやっていたモデルに挑戦することにした
大学時代にバイト感覚でやっていたモデルに挑戦することにした

―― 一念発起されてから、どのようにモデルの道を開拓されたのですか。

萬波 とりあえず東京に行こうと思ったのですが、もちろん住む場所もありません。そこで友達の家に居候させてもらい、モデル事務所を探すことにしました。ただ、本当に素人だったのでどうやって探したらいいのかも分からなかったんです。どうしようと悩んでいたら、知り合いのフォトグラファーが写真を撮影してくれて、それをインスタグラムに載せることにしました。すると、今所属している事務所のクライアントさんが声を掛けてくれて、事務所を紹介してくれたんです。思えば運がよかったですね。

 振り返って思うことですが、インスタグラムを使ってコツコツと発信していたことがよかったなと。その当時はまだ大きなメディアではなかったのですが、これから絶対に広がっていくはずだ、そのために自分の基礎づくり、つまりブランディングをしておこうと。結果的にそれが道を開いてくれました