2015年7月に事務所に所属後すぐにユニクロやフェンディのモデルとして起用され、9月にデビュー1カ月あまりでパリコレにも出演。その後も世界を舞台に活躍する萬波ユカさん。現在、インスタグラムのフォロワー数52万人と国内外から支持されている。そんな萬波さんはもともとは看護師。どのように転身を決めたのか、その決意の裏側を語ってもらった。

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モデルの前は手術室ナースだった

日経doors編集部(以下、――) モデルデビューされたのは23歳。その前は看護師として勤務されていたそうですね。

萬波ユカさん(以下、萬波) 田舎育ちだからでしょうか、以前はモデルとか表現の仕事をするという考えが全くありませんでした。資格があったほうが仕事を得やすいと考えて、もともと保健師や看護師の仕事を志望していました。そこで看護系の大学に進学しました。

 その時たまたま病気になり、入院しました。手術を受けたのですが、看護師さんがとても頼もしくて。私もそんな人になりたいと思い、手術室で働く看護師になろうと進路を決めました。

萬波ユカさん。2015年7月に事務所に所属後すぐにユニクロやフェンディのモデルとして起用され、9月にデビュー1カ月あまりでパリコレにも出演。その後も世界を舞台に活躍
萬波ユカさん。2015年7月に事務所に所属後すぐにユニクロやフェンディのモデルとして起用され、9月にデビュー1カ月あまりでパリコレにも出演。その後も世界を舞台に活躍

―― 手術室の看護師としてのキャリアをスタートされますが、モデル転身を決意されましたね。

萬波 はい。手術室では当然ながら命に関わる現場です。昨日笑っていた患者さんが今日亡くなってしまうということもありました。そういう現場に立ち続けているうちに「自分自身の明日はどうなるのか分からない。今、やりたいことにチャレンジしよう」と思ったんです。そこで小さい時からバレエなどの「自分を表現する習い事」に通っていたので、表現することに改めて挑戦したいと思いました。

―― ただ、大学まで通い、資格も取得し、せっかくなった看護師の仕事を手放すのは勇気が要りませんでしたか?