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doors 旬のインタビュー

アジアの現代美術マーケットをけん引 寺瀬由紀

金融業界からアートの世界へ ZOZO創業者前澤友作氏のバスキア約125億円購入の立役者

キャリアと家庭の両立を諦めないで

── 帰国子女というバックグラウンドを持ち、日本でも働いたことのある寺瀬さんですが、海外で働くこととの違いをどう感じていますか。

寺瀬 仕事そのものよりも、子育てしながら働くことについて、正直、日本で働いていた頃は息苦しさと葛藤も感じていました。放課後、他のお母さんに子どもを託して遊びに連れて行ってもらったりすると、「今日は、お母さんがいなくてかわいそう」という目で息子が見られたり、実際に言われてしまうこともある。そういうことに、いつも「私は母親としてちゃんとできていない」という焦燥感と罪悪感がありました。

 でも、香港で暮らしてみると、こちらの女性はみんな仕事も子育ても生き生きとバリバリやっているんです。そういう周りの姿を見て、心の重荷から解放されて、自由に生きられるようになったという実感はありますね。こちらではありがたいことにヘルパー文化が定着しているので、仕事をしてもらう給料から外部のサポートを堂々と利用し、家事や育児をある程度任せることで仕事に集中できますし、家事や子育てにおいても父親と母親は対等に見られています。アジアの他の地域を見てみても、ヘルパー文化が普及しているところは多く、子どもはみんなで育てていくもの、という雰囲気です。日本は「母親イズム」が強い社会ですごく独特なんだな、と海外に出て子育てをしてみて気がつきました。

 今回、独立を考えたのは、自分のキャリアでさらに挑戦をしていきたいという理由の他に、子どもとの向き合い方を変えるタイミングだと感じたことも理由です。息子がもうすぐ中学生になり多感な時期を迎えるので、母親としてもう少し自分でコントロールできる仕事環境で、じっくりと精神的に寄り添う時間をつくりたいと思ったんです。息子本人は、母親が世界を飛び回って働いていることに誇りを感じてくれていたんですけどね。サザビーズを辞めるときは、「仕事辞めちゃって、大丈夫なの?」と心配してくれたほどです(笑)。

── 確かに、日本では、キャリアと子育ての両立に悩むママたちは多くいます。家庭と仕事の両立に自信がないからとキャリアを諦めたり、結婚や子育てを先延ばしにするケースも珍しくありません。

寺瀬 そういう女性たちに、「キャリアも子育ても、両立できるよ」というメッセージをぜひ伝えたいですね。優秀な女性が、家事や子育てを理由にキャリアを諦めるのは、本当にもったいないこと。「完璧な母親でなくてはいけない」とか「周りにちゃんとしていると認められなくては」なんて思わなくていいし、罪悪感を抱く必要もないんです。優秀な女性ほど、みんなから100点をもらいたいと思っちゃうんですが、それは不可能です。

 大切なのは、分かってほしいと思っている人に分かってもらえればいい、と割り切ることです。自分が信じた道を突き進んで、自分と自分の大切な周りの人たちが納得していて、幸せならば、それでいいはず。私自身もそうやって、今のキャリアと家庭を両立してきました。そして、甘えられるところ、頼れるところはどんどん頼っていいとも思っています。

 女性はライフステージの変化で、どうしてもいろいろな迷いにぶつかることになります。そんなときに、全く完璧ではないけれど、色々な人に支えてもらいながら楽しんでやってこれた、そんな私のケースがなんらかのロールモデルとなって、後に続く女性の皆さんをエンパワーできればうれしいですね。

アート業界を女性の力でエンパワーメント

── 今年6月末には、10年間在籍し、華々しいキャリアを築いたサザビーズを退社して独立。10月から新しい法人の設立をされました。この決断はどのような思いからされたのでしょうか。

寺瀬 コロナ禍の影響もあり、一度立ち止まって、これからの人生についてじっくり考えた結果、独立することにしました。これから40代になったときに、次の10年をどんなフェーズでどう走っていきたいのか、自問自答してみたんです。20代や30代のときのように、ひたすら突っ走るのではなく、これまでの経験をベースに仕事もクライアントも自分で選んでいくような仕事をしていきたいと、考えました。

 この10月に立ち上げたアートインテリジェンスグローバルでは、共同経営者の一人にサザビーズのグローバルのチェアマンだったエイミー・カペラッツォというパワフルな女性を迎えています。香港とニューヨークを拠点に、グローバルなアートアドバイザリー会社を設立し、顧客に寄り添いながらアートの売買やコレクションマネジメントのアドバイスをしていくつもりです。アジアではこれから私設の美術館や財団をつくっていきたいという若いコレクターもたくさんいますので、そういった方々のお手伝いもしていきたいと思っています。

保守的な美術業界で、女性2人がトップのアートアドバイザリー会社を創業し、新たな挑戦を
保守的な美術業界で、女性2人がトップのアートアドバイザリー会社を創業し、新たな挑戦を

 アート業界で女性がトップに立ち、かつ創業までする、というのは、欧米でもまだ珍しいんです。この業界はまだまだ保守的な文化が根強くて、例えば、大きなオークションの売買をしている映像や写真を見ると、ほとんどが白人男性ですよね。

 男性優位なのは、アーティストについても同じです。ピカソの最高額は約1億7900万ドル(約203億円)ですが、女性アーティストで一番高値をつけているジョージア・オキーフは約4400万ドル(約50億円)。日本人アーティストでは男性の奈良美智さんが約2490万ドル(約28億円)の最高額に対して、世界中で最も作品が知られている現代美術家の一人といわれている草間彌生さんでも約6240万香港ドル(約9億円)にすぎません。

 性差だけでなく、人種によってアーティストの評価額が違う時代も、正直長く続いていました。そういう意味で、現代アーティスト、黒人というバックグラウンドを持つバスキアの絵画を、日本人の若手実業家の前澤さんが約125億円という高額で購入したのは、画期的な出来事だったんです。

 新しい会社では、保守的なアート業界を女性の力で変えていくことにチャレンジしたいと思っています。実力のある人が性別や人種に関係なく正当に評価されて、「いい物はいい」とフェアに認められる世界を作っていきたいですね。

寺瀬由紀(てらせ・ゆき)
アートインテリジェンスグローバル創業パートナー
2度のイギリス生活を経て、2005年一橋大学卒業後、モルガン・スタンレー入社。出産を機に退社し、イギリスの大学院で美術史を学ぶ。2011年サザビーズジャパンに入社し、2014年サザビーズ香港 現代美術部門に異動。2018年アジア統括に就任。アジアでの現代美術のマーケットにおいて圧倒的なリーダーとしてのサザビーズの地位確立に貢献するとともに、世界へアジアの現代美術を発信・紹介する役割を担う。2021年6月末、サザビーズを退社し独立。香港とニューヨークに本社拠点を置くアートインテリジェンスグローバルを設立。現在、夫、息子と香港在住。

取材・文/工藤千秋 写真/Nicolas Newbold(4ページ目) 注)1ドル=113円、1香港ドル=14円(いずれも11月5日時点)で換算

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