コロナ禍で気づいたもの

―― 今年4月、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、緊急事態宣言が発令され、芸能界にもその影響は及びました。このコロナ禍で、皆さんはどのような「気づき」がありましたか。

大九 もともと、一人でいることが好きで。ドタバタと生きているうちに、映画という集団芸術に身を置くことになり、俳優やスタッフの人たちと、毎回「修行」のつもりで映画作りに取り組んできました。

 一人でいることは好きだけれど、コロナのような外圧によって人と分断されるのはちっともうれしくない。一人でいるときは寂しくなかったのに、こうやって人がいるのに近寄れないことが寂しくて。

 クラインクイン前は、討ち入りといって俳優やスタッフの人たちと同じごはんを食べたり、「無事に撮影が終えられますように」とおはらいをしたりするんです。今回はそれもできないどころか、打ち上げもできませんでした。

 みんなで一つのものを作り上げて、喜びを分かち合う。今まで当たり前過ぎて気づかなかったけれど、自分にとってそれはとても大切だったんだと気づかされました。それが正々堂々とできないのは、すごくしゃくでした。

 コロナの状況に応じてコミュニケーションを柔軟にしていく必要があるのは、よく分かる。今のこの状況を生かしながらものを作っていかねばならないのも、よく分かる。でも……、それももう大概にしてほしいという気持ちです。

のん 4月に緊急事態宣言が発令されて、自粛期間になりました。その間は撮影がストップしてしまったので、最初の頃は毎日寝ていましたね。久しぶりの長い休みだ!と。でも、3日もすると耐えられなくなってしまって。

 あの頃「エンターテインメントは優先順位が低い」といった空気が漂っていて、「これからどうなるんだろう」という恐怖にかられました。この事態が世界中で同じように起きているなんて、私の手に負えることではない。どうすればいいんだろう、と。

 どうにか撮影も再開し、日本からスタッフと俳優が渡航することはかないませんでしたが、イタリアのシーンをリモートで撮り終えたのは、すごくうれしかったですね。改めて、「映画は必要なものだ」という気持ちが強くなりました

 体を作るものとしては、栄養のあるごはんと比べたら映画の優先順位は低いかもしれません。けれど、私はこれまで映画やエンターテインメント……、いろいろなもので形成されて生きてきた。それを否定したくないし、否定してほしくないな、と思いました。

 『私をくいとめて』が無事上映されるのは本当にうれしいし、不要・不急じゃない、必要・必須なんだな、と改めて気づきましたね。

綿矢 普段から一人で執筆しているため、コロナ禍でも大きな変化はありませんでしたが、一時期は起きている事態に絶望していましたね。

 そのとき気づいたのは、映画や音楽や本は、人の心を癒やすということ。人にとって不要不急のものではなく、必要不可欠なものだと思います。本作は、大きな苦難を乗り越えて完成した作品。それはきっと、見る人にとってもエールになるし、大きな励みになると思います。

 映画『私をくいとめて』は、12月18日(金)全国公開。

取材・文/尾崎悠子(日経doors編集部) 写真/稲垣純也