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doors 旬のインタビュー

AMIAYA 語学力もお金もなかった過去から夢をつかんだ理由

価値が見えない小さな積み重ねも、続けることで経験が生きてくる

モデルとしてH&M/MOSCHINO、FENDI、VALENTINOといった海外メゾンの広告やキャンペーンに登場するだけでなく、アパレルブランドjouetie(ジュエティ)のクリエイティブディレクター、DJとして幅広く活躍している双子のAYAさん(姉)とAMIさん(妹)。インスタグラムのフォロワーは二人で計55万人超(2020年12月現在)、国内外から注目を集めるインフルエンサーでもあります。10代から親元を離れ、モデルの仕事を始めたAMIAYAさん。今回は、ハングリー精神の源となった下積み経験や二人で乗り越えてきた数々のピンチについて話を聞いていきます。

(上)AMIAYA ドルガバのショーで個性を模索、世界的なモデルに
(下)AMIAYA 語学力もお金もなかった過去から夢をつかめた理由 ←今回はここ

上京後の苦労、ハングリー精神に火がついた

日経doors編集部(以下、――) 海外で活躍する夢をかなえたAMIAYAさんですが、15歳で地元の浜松市から上京したときから海外志向だったのですか?

AMIさん(以下、敬称略) 海外進出という目標ができたのは、モデルで活動してからですね。当時の目標はもう少し漠然としていて、「PUFFYさんみたいに、表現する人になりたい」と思っていました。

 15歳で地元の浜松から上京した最初の1年は、大変だったんです。東京で高校生になって芸能活動をしたかったんですが、状況的に難しく、地元の高校に進学しました。夢を諦めきれず高1の夏に学校を辞めて、AYAちゃんと東京で暮らし始めました。周囲に知り合いもおらず、お金もない、一食一食に困るような生活で。すごくつらかったけれど、その時期があったから、「絶対にやり遂げてみせる」と思えたのかも。今も変わらずハングリー精神を持ち続けられていますね。

―― 下積み時代の経験がその後の仕事への向き合い方にも大きく影響したんですね。

AMI 15歳から1年間ぐらい東京に住んで、そのときはお母さんが仕送りをしてくれました。当時、ブティックを経営していましたが、閉店後にお母さんがコンビニでアルバイトをして、そのバイト代を送ってくれていたんです。お母さんも頑張ってくれているんだから、自分たちも頑張ろう。諦めたら親に申し訳ない、という気持ちが強かったですね。それでも、やっぱり生活はきつくて……1度、地元に帰りました。地元で工場のバイトなどを掛け持ちしながらお金をためて、17歳の秋に再上京。次こそは自分たちだけで生活しようと決めて、そこからは自活しています。

―― 2度目の上京にかける思いは、より強くなりましたか?

AMI そうですね。15歳のときも「浜松には帰らない」とは思っていて、お母さんも「浜松には帰ってこない覚悟でやりなさい」って背中を押してくれたんです。

AYAさん(以下、敬称略) 「そのぐらい強い気持ちがあるんだったら、応援するよ」って。そんなお母さんの思いもあるし、自分たちも何かをつかむまでは帰れないと思っていました。

 15歳で上京したときもオーディションは受けていましたが、なかなか受からず、受かっても自分たちのやりたい仕事内容ではなく、理想と現実のギャップを感じていました。でも、17歳のときはファッション誌の読者モデルやストリートスナップ、今でいうインフルエンサーのような仕事から始められたんです。そのうちに私たちの特集ページをつくってもらえるようになり、ステップアップしていきました。17歳からストリートスナップに登場しているのですが、今も海外のストリートスナップに撮られることで仕事や次のチャンスにつながっているんです。

一つひとつの積み重ねを、次へのチャンスにつなげていった(写真左:AYAさん、右:AMIさん)
一つひとつの積み重ねを、次へのチャンスにつなげていった(写真左:AYAさん、右:AMIさん)
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