「趣味がない」のは普通のこと
そんなこと言ったら、僕も趣味がないなと思いましたけれど(笑)。
例えばアイドルにハマっていたり、特定の趣味を持っていたりする人に対して「自分はハマれなかった」「良さが分からない」と、わざわざ口にする人は少ないもの。でも、心の中でそう思っている人は、実は意外といると思うんです。何かにハマれるもの、夢中になれる趣味がある人のほうが、実際は少数派な気がしていて。でも世間では、ハマっているものや、趣味がある人の声が大きく通るんですよ。
仕事が忙しい人は、家に帰ったら睡眠時間を確保するだけでも精いっぱいなはず。仕事が終わったら、食べたいものを食べて、一息ついて眠りにつく。そう過ごしている人のほうが圧倒的に多いと、僕は思うんですよね。「趣味がない」なんて、案外普通のことなんじゃないですか。日々、睡眠時間が十分に取れていれば、趣味がなくてもいいと思うんですけれど。死なないことが大事なので。
今回のエッセーの中で「2018年に開催されたFIFAワールドカップを、皆で応援しながら観戦する」という初体験をしています。僕は、自分でスポーツをするのは楽しめるのですが、「誰かがやっているスポーツを応援する面白さ」が全く分からない。
そのときは、テレビ番組の収録後に出演者の方々と一緒に観戦したのですが、試合に熱中する人もいれば、僕と同じようにサッカー観戦に入れ込んでおらず、別の会話をしている人もいて、サッカーに対する関心度は本当に人それぞれでした。
客観的に見れば、サッカー観戦をしている僕たちは、みな同じ目的を持って一つの空間にいるように見えるけれど、中に入ってみたら違うこともある。その気づきはとても面白く感じました。
何かを始めてみても、すぐに飽きてしまうこと、ありますよね。僕も飽きっぽいですし。でも、人生は「飽きとの戦い」なんですよね。
例えば僕は小説を読むとき、型にはまったような決まりきった文章や、数行先が想像できてしまうような描写が続くと、読んでいてしんどくなってしまう。だから書き手としては、読み手を常に飽きさせないよう、細かい意外性や裏切りが続くような文章を心がけています。