飄々(ひょうひょう)としたキャラクターで人気のタレント、高田純次さん。前編では高田さんに、私たちが抱える普遍的な悩みについて回答していただきました。後編では、高田さんの20代を振り返りつつ、いつも機嫌良く前向きでいられるコツなどを聞きました。

【前編】高田純次 人生はバランス 生き方に正解はない
【後編】高田純次 叱って伸びるはウソ 他人と自分もっと褒めて ←今回はここ

高田純次さん
1947年、東京都生まれ。俳優、タレント。1977年、劇団「東京乾電池」に入団。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)にレギュラー出演し、全国的な人気者になる。「いい加減」で「適当」と評される芸風で、幅広い層から親しまれている。近著に『50歳を過ぎたら高田純次のように生きよう 東京タワーの展望台でトイレの順番ゆずったら本が出せました』(主婦の友社)。


大学受験に失敗「普通ではやっていけないのかも」

【質問】漠然と、将来が不安です

 若いときは、将来に漠然とした不安があるよね。俺たちの時代も不安でしたよ。二十歳くらいでは将来の目標なんて決まっていないから、とりあえず大学へ行く人が多かった。俺も教科書をブックバンドで十字にまとめて肩にかけて、キャンパス内にあるベンチで女の子をナンパしたいという欲望しか、なかったね。

 でも、この夢が根底から覆されちゃったの。大学受験に失敗してしまってね。合格発表の掲示板を何度見ても、俺の受験番号がないんだよね。前後の番号はあるのにさ。学校に「載せ忘れのミスなんじゃないか」と、何度文句を言いに行こうと思ったか。でも、そこまでできなかったね。

「もしあのとき大学に受かっていたら? 今頃は警察庁長官になっているんじゃないのかなあ?(笑)」
「もしあのとき大学に受かっていたら? 今頃は警察庁長官になっているんじゃないのかなあ?(笑)」

 一浪して、翌年は美術系の大学を受験するんだけれど、それも不合格。そこからかなぁ。「普通でいるだけでは、もうやっていけないのかも」「世の中を縦だけではなくて、違う角度からも見るようにしていかないと、これからは通用しないのではないか」と思ったんだよね。

 周りの友達はみんな合格していたし、俺も家でふらふらしているわけにもいかないから、デザインの専門学校へ行ったの。まだ働きたくなかったし、もう少し遊んでいたかったからね。でもそのデザイン学校、ビルの中にあったからキャンパスがなかったんだよ。課題も多かったから、ナンパしている時間もなかったしね。