2017年に乃木坂46を卒業し、芸能界を引退した中元日芽香さん。現在は心理カウンセラーとして活躍しています。アイドルとして走り続けていた彼女が抱えた「過食症」。そして卒業を決意したきっかけでもある「適応障害」。トップアイドルとして揺れ動く当時の気持ちと、心理カウンセラーとしてのこれからを語ってくれました。

【前編】元乃木坂46中元日芽香 人と比べず自分に集中する方法
【後編】乃木坂中元日芽香 過食症、適応障害経てカウンセラーに ←今ココ

中元日芽香さん
1996年、広島県生まれ。2011年から「乃木坂46」のメンバーとして活動したのち、2017年に卒業。2018年にカウンセリングサロン「モニカと私」を開設し、心理カウンセラーとして活動を始める。著書に『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』(文藝春秋)


安全で堅実な人生を送りたかった

 私は広島で生まれ育ちました。幼い頃は、「いい子、できる子だと思われたい」一心で、聞き分けのよい振る舞いをすることが多かったですね。両親に限らず、学校の友達や習い事先の先生にも。あまり、自分の願望を口にしたり、意見を通したりする子ではありませんでした。だからなのか、「自分で考える」「自分で決断する」ことが苦手なまま大人になってしまったのかな……、なんて思います。今でも、自分で物ごとを決めるのはちょっぴり苦手です(笑)。

「『今ある環境の中で、よい成績を残して両親や先生に褒められたい』と思う子どもでした」
「『今ある環境の中で、よい成績を残して両親や先生に褒められたい』と思う子どもでした」

 きょうだいは姉と妹がいます。姉はとても勉強ができる人でしたし、妹(BABYMETAL中元すず香さん)は小さな頃から歌が本当に上手で。私も歌やダンスが好きでアクターズスクールに通っていましたが、姉や妹とは違い、勉強も歌もダンスもどれか一つに絞ったりせず、バランスよく満遍なくこなしていたタイプでした。二人と比べてしまうと突出した強みはありませんでしたが、かといって「これがやりたい!」といった強い願望は思い付かず。それよりも「今ある環境の中で、よい成績を残して両親や先生に褒められたい」――そんな気持ちで広島時代を過ごしていました。

 芸能事務所に入るためのオーディションは、母が書類を送り、審査を通過したので受けることに。私はオーディションそのものへの関心よりも、終わった後に母と観光をする時間が何より楽しかったですね。今思うと、母にべったりな子どもだったなと思います。

 どちらかというと、私は安全で堅実な人生を送りたいと思う性格。「何がなんでも芸能人になりたい!」と強い憧れを持っていたわけではありませんでした。中学を卒業したら高校へ行って、大学へ進学して……という道をたどるものだと信じていたけれど、乃木坂46のメンバーとしてデビューが決定したとき、私の人生が大きく変わりました

 乃木坂46の1期生オーディションに合格したのは中学3年生の8月。地方に住んでいるメンバーの中には、すぐに東京の学校に転校する人もいましたが、私はそのまま地元広島の中学校に通いました。その後、高校進学と同時に東京へ。このとき芸能コースのある学校ではなく普通科を選んだのですが、それは「今ならまだ引き返せるかもしれない」という迷いが、まだ自分の中にあったから。どちらも手放せない。そんな保守的な考えを抱いていた状態でした。

 デビューすると、ファンの皆さんへ自分をアピールする「自己紹介」があります。ここで私にとって、衝撃的なことがありました。