10代に「スーパー・モンキーズ」でデビューした、沖縄出身のダンスボーカルグループMAX。前編では、そのリーダーであるNANAさんに「女の友情」について回答いただきました。後編は、10代に体験した芸能養成スクール、沖縄アクターズスクールでの厳しい指導やNANAさんが結婚や人生設計について考えるようになったきっかけなどを聞きました。

【前編】MAX NANA 友人との距離 無理に縮める必要なし
【後編】MAX NANA 人気絶頂期メンバーの妊娠で衝撃 ←今ココ

NANAさん
沖縄県生まれ。1992年に「スーパー・モンキーズ」のメンバーとしてデビュー。95年に沖縄県出身4人組ボーカルダンスグループ「MAX」としてデビュー。『TORA TORA TORA』『Give me a Shake』など数々のヒット曲を発表し、紅白歌合戦に5年連続5回出場。近年は音楽活動以外にも、ソロでのバラエティー番組やドラマ、舞台への出演など活躍の場を広げている


デビュー前の厳しさ 10代だから耐えられた

 NANAさんが沖縄県の芸能養成スクール沖縄アクターズスクールに入ったのは、中学2年生のとき。スクールで講師や先輩たちから口酸っぱく言われていたのは、「『遅刻』には気をつけるように」。沖縄にはゆったりした時間感覚を表す「ウチナータイム」という言葉もあるくらい、のんびりした人が多いという。

 「スクールから芸能界に入って、時間管理に苦労した先輩たちが多かったのか、遅刻に対しては相当厳しかったですね。さらに、私は標準語の習得にも苦戦。テレビ出演時では標準語を話すことを求められましたが、よく分からず、とりあえず語尾に『~じゃん』を付ければなんとか形になると思っていました(笑)」

 まだ芸能界デビューしていない段階で、すでにその先を見据えた振る舞いをしながら規律正しく過ごす毎日。恋愛も禁止で、学生服を着たままデートをするカップルを羨ましい気持ちで眺めていたこともあった。

 「けれど、当時はデビューしたい気持ちのほうが強かったので、必死でした。あの厳しさは、若い10代でなければ乗り越えられなかったし、芸能界の礼儀や作法をあのとき体にたたき込んでおいてよかった」とNANAさんは振り返る。

「小学生の頃は、アイドルに憧れていました。どちらといえばダンスよりも、きれいな衣装を着て歌いたいと思っていましたね」
「小学生の頃は、アイドルに憧れていました。どちらといえばダンスよりも、きれいな衣装を着て歌いたいと思っていましたね」

 ダンスアイドルグループの「スーパー・モンキーズ」のメンバーとしてデビューした当時は、メンバーたちと東京のマンションで共同生活をしていた。その後、メンバーの脱退や加入を経て、1995年に今の4人(NANA、MINA、LINA、REINA)でダンスボーカルグループ「MAX」としてデビュー。3枚目のシングル『TORA TORA TORA』が大ヒットしたのを皮切りに、テレビ番組や映画への出演、コンサートツアーなど仕事の量は一気に増えた。さまざまな歌謡賞も手にし、NHK紅白歌合戦にも5年連続出場するなど、目まぐるしいながらも充実した日々を送っていた。

 遠く離れた沖縄から、慣れない東京での生活。いつもメンバーと一緒だった。苦楽を共にし、姉妹のように寄り添い、お互いの足りない部分を埋め合ってきた、大切な仲間たち。そんな仲間たちと、これからもっと良い音楽を届けていこう。もっと大きな会場でコンサートをして、たくさんのファンに会いに行こう。私たち、もっと上を目指していこう――。「MINAの妊娠を知ったのは、そんなときでした」