前編では母との関係に悩む女性の心中について聞きました。そんな悩みにアドバイスしてくれるのはタレントの青木さやかさん。青木さんは「母が大嫌いだった」と語ります。その母親が亡くなって1年がたち、「今では大好きになった」んだそう。 母親との長い確執を経て、青木さんが気づいたこと、母との関係におけるアドバイスを聞きました。

【前編】就職も結婚も反対する母 「毒親」とは思いたくないけれど
【後半】青木さやか 母との確執乗り越えた今だからできる親孝行 ←今ここ

青木さやかさん
青木さやかさん
愛知県生まれ。タレント、俳優。フリーアナウンサーとして名古屋を中心に活動後、バラエティー、ドラマ、演劇で活躍。NPO法人『TWFの会』で動物愛護活動に参加。YouTubeチャンネル『犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方』を立ち上げ、動物にまつわる様々なコンテンツを発信している。12月5日からは、三谷幸喜さん演出の舞台「23階の笑い」に出演。

尊敬していた母 嫌悪し始めたきっかけは両親の離婚

 両親は、どちらも教師でした。母は、小学校の国語の先生。地元では有名で、当時通っていた学校のいろんな先生に「青木先生のお嬢さんよね」と言われるくらい、みんなが知っている人でした。幼い頃は、そんな母を尊敬していましたね。

 母は、固定観念が強い人でした。「今日は雨だから嫌だね」「この人は大学に行っていないから、かわいそうだね」「公務員になれば、幸せよ」。幼い頃は、母親って絶対的な存在ですから、「母の考える価値観」を植え付けられて育ったように思います。

 小学生の頃だったか、母と、母の友人宅へ遊びに行ったとき、「昨日、お父さんとお母さんがけんかして、お茶わんが飛んだんだよ」と話したことがありました。母はその場では何も言わなかったけれど、帰りの車の中で「人前でうちの恥を言わないの!」とひどく怒られました。家庭の事情は人前で話すことではない、と思っていたのでしょう。それ以来、母の前では「これを言ったらどう思うかな」と常に気にしながら話すようになりました。前編のお悩みで「母の考えを気にしてしまう」とおっしゃっていましたが、とてもよく分かります。

母に褒められた記憶がない

 母との記憶は、とにかく「褒められなかった」に尽きますね。

 たとえば5段階評価の成績表で、5が多かったなかに4が少し混じっていた。これは褒められるだろうと思っていたら、「4がいくつかあるね」「この前は5だったのに、4に下がったね」と言われる。褒められると思って見せたものが、全て褒められなかった、という印象が強く残っています。母はとても優秀な人でしたから、できて当たり前だと思っていたのかもしれませんが……。

 その当時は母を尊敬していたし、自慢でした。そんな自慢の母から褒められたかった。絶対的な存在である母が、褒めてくれず否定するということは、自分は劣っているのではないか? と幼心ながらに思っていました。

 そんな母に対して嫌悪感を抱くようになったのは、私が高校生のときでした。