失敗を糧に、番組で漢検に挑戦

 「『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』というクイズ番組で漢字検定に挑戦するというコーナーがあって、声が掛かったんです。よし、あのミスを払拭できる!と3カ月くらい仕事以外の時間をすべて漢字の勉強に費やして、漢字検定準1級に合格しました」

 こうした数々の努力が実り、25歳のときには『世界水泳上海2011』、26歳で『ロンドンオリンピック』の現地キャスターに起用された。「とにかくどうやったら周りに信頼してもらえるかという視点で、必死で動いて」自分の力で居場所を見つけたのだ。

 「実力が伴わないのに、ジタバタしてもしょうがなかったんですよね。仕事がなくて人と比較してばかりいたつらさは、私にとって必要なプロセスだったんだということに、遅ればせながら気づきました。あの時期は、力を蓄えるべき時期だったんです。落ち込んでばかりいないで、もっと前向きに取り組めていたら早く浮上できたのかもしれません。でも残念ながら、当時はそこに気づけていませんでした」

 そして29歳のときに『スーパーJチャンネル』のメインキャスターに抜てきされる。「読み間違いミス」をして報道から遠のいたあの日から、約5年の月日がたっていた。

「できるの? 大丈夫?」のイメージを払拭

 「最初は『この人、バラエティーとスポーツのイメージしかないけど大丈夫なの?』と思われている気がして、とにかくやる気を見せたい」と、何でもいいから取材に行きます! と手を挙げた。

 「前回の失敗もあったので、『報道番組でのミスは局として致命的なことだ、テレ朝が批判されることになる』と気を引き締めてやっていこうと誓いました。実際にはミスもありましたが、レギュラーで任された報道番組の仕事は毎日やってくるので、一度反省したら、その後はとにかく失敗は引きずらないように。ニュースを伝える人が自信なさそうにしているわけにはいかない、どんなときも常に堂々としていようって思ったんです」

 プロとしての意識もしっかり備わり、32歳で『報道ステーション』の金曜日のメインキャスターを任された。

 「ずっと挑戦してみたかった報道番組のメインキャスターを任せてもらえるまで、語りつくせないほどの失敗を重ねてきました。でも、年を重ねるにつれて、失敗も悪くないなあと思えてきたんです。いろいろな経験をすることで、自分を客観的に捉えることができるようになりましたし、失敗してもその後の自分の行動で、成功にも変えられるということが分かってきましたから」