実家で約1年かけて回復「子どもが欲しい」

 「実家に戻ったのは、規則正しく生活する親と一緒にいれば、朝起きて夜寝る生活ができると思ったからです。まずは、昼夜も季節も分からなくなるほどに狂った体内時計を正さなくては、と感じたんです」。

 加えて、食事は母の手料理で栄養のバランスも取るように心がけた。薬の服用は続けたものの、徐々に肌荒れやクマが目立っていた肌が回復し、体力も気力も取り戻していった。

 「自分一人ではここまで回復できなかったと思います。親やいろいろな人に助けてもらいながら、やっと生活も心身も整ったんです。そのとき、『ああ、このタイミングで結婚して、子どもを産むといいのかもしれない』と思いました」

子宮内膜症が発覚「妊娠は難しい」

 そして、パートナーと結婚しようと決心し、岸さんは、ブライダルチェック(結婚前のヘルスチェック)を受けに婦人科に行った。

 「そうしたら、子宮内膜症であることが分かったんです。当時は、29歳。まさに青天の霹靂です。医師から『子どもが欲しいとか言ってる場合じゃない、妊娠は難しい』と言われたときは、ショックで言葉を失いました」

「なんで…?」という気持ちで、打ちひしがれました」
「なんで…?」という気持ちで、打ちひしがれました」

 ストレス性ぜんそくに続く新たな病気の発覚で、一つ目の失敗は終わってなかったのか、とショックに打ちひしがれた。

 子宮内膜症の中でも、卵巣に血が溜まってのう腫ができる病気で、病気が分かったときの岸さんの卵巣は、通常2~3cmのところ、左右ともに9cmぐらいになっていた。すぐに注射で月経を止めてホルモン療法を始め、血が溜まらないようにした。1年半後、卵巣は5cmぐらいまで小さくなったが、その間、ひどい副作用に悩まされ続けた。