何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで……「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、20代から美容家として活躍し、美容雑誌のロールモデルとして表紙も飾った岸紅子さんの失敗図鑑(上編)です。

岸紅子 20代で美容家として活躍 病気で「妊娠困難」 ←今回はここ
岸紅子 娘の闘病を経て「人生で感謝する回数が増えた」

 「20代は、もっともっと……と欲張りで、何者かにならないと認めてもらえないって、いつも焦っていました。失敗したおかげで、自分らしさや自分にしかできないことに気づけて、めちゃくちゃ生きやすくなったんです」

 失敗を自己啓発体験のように語る、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会代表の岸紅子さん。

起業し、美容雑誌の表紙を飾った20代

 大学時代に、祖父母の闘病と他界をきっかけに人間の自然治癒力に興味を持ち、ホリスティック医療(西洋医学や東洋医学、自然療法、心理療法など、様々な療法を組み合わせて、自然治癒力の向上を目指す統合的な治療法)と出合った。美容ライターや読者モデルをしてお金を貯めては欧米諸国に行き、ホリスティック医療に関する情報を集めて回った。

 大学卒業後は、美容関連のマーケティング会社を起業。数多くの市場調査や商品開発コンサルティングを手がけ、美容アナリストとして毎月2~3本の連載執筆と10本前後の取材にもあたった。女性誌をはじめ多くのメディアに毎月のように露出し、「美の賢者」として活躍していた。

「とにかく仕事が楽しくて。仕事が第一優先の毎日でした」
「とにかく仕事が楽しくて。仕事が第一優先の毎日でした」

 さらに、美容雑誌「MAQUIA」のロールモデルとして立ち上げに携わり、表紙を飾るように。やりがいもあり、仕事にまい進する日々。しかし、いつしか、食事は外食中心で偏り、睡眠不足が続いて昼も夜もなくなった。それどころか、「今は春なのか秋なのか、季節もよく分からなくなった」という。

 そして、その結果、27歳のとき、ストレス性ぜんそくになってしまった。

ストレス性ぜんそくが悪化、29歳で倒れる

 「咳が出ると止まらなくなることが続いて、病院に行ったらストレス性ぜんそくだと診断を受けて。ステロイド剤の吸引器を肌身離さず持ち歩いて、咳が出たらすぐに吸引するようにしていました。咳さえ収まれば問題はないと高をくくって、仕事をセーブすることは考えていなかったんです。

 もちろんそんな生活を繰り返しているので症状が改善することはなく、29歳のとき、激しい発作で呼吸困難になって倒れてしまい……。救急搬送されて、大事な仕事に穴を開けてしまったんです。プロ意識をもって仕事をしていただけに、なんてことをしてしまったんだ、と自分を責めずにはいられませんでした。あり得ないことをした、プロとして失格だ、と……」

 これが、岸さんの一つ目の失敗だ。自分を責めながら、「このまま不調と向き合わずに薬に頼り続けたら、きっとまた穴を開けて仕事を失う……」。意を決して、仕事を減らし、一人暮らしをやめて実家に戻った。