何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで……「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、20代から美容家として活躍し、美容雑誌のロールモデルとして表紙も飾ったことのある、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会代表理事の岸紅子さんの失敗図鑑(下編)です。

岸紅子 20代で美容家として活躍 病気で「妊娠困難」
岸紅子 娘の闘病を経て「人生で感謝する回数が増えた」 ←今回はここ

娘の重度のアトピーとアレルギーで自分を責める

 「娘は、重度のアトピーと食物アレルギーを持って生まれました」

 そう語るのは、大学卒業後に起業し、美容アナリストとして活躍。その後、自身の病気を経て、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会を立ち上げた岸紅子さん。

 多くの乳幼児は、生後2カ月ごろから赤いポツポツやカサカサなどの乳児湿疹が出る。通常は2~3カ月で終わるが、岸さんの娘はどんどん悪化し、全身がグチュグチュにただれてしまった。

 医師も首をひねる状態で、生後半年を待って血液検査をしたところ、重度のアトピーと食物アレルギーと判明。乳製品と卵はアレルギー指数の上限を振り切るほどで、ほかにも大豆と小麦もNGだと分かった。症状を抑えるためにステロイド剤を塗る必要があり、それは大人になっても続けることになるだろう、と宣告されたのだ。

 「まったく予想していなかったんです。だからどうしていいか分からなくて」と、このときの自身の姿を2つ目の失敗として挙げる。

「その時、茫然自失になりました」
「その時、茫然自失になりました」

 「母乳には、私が食べたものが反映されます。重度のアレルギーの娘が取ってはいけない乳製品や卵などを一切取らない生活になりました。それはとにかく大変で……。でも、どこかに『自分のせいで娘がこんなことになってしまったのかもしれない』という思いがあって、必死でした。

 とはいえ、アトピーもアレルギーも原因は定かではありません。でも、親としての責任を感じてしまう……。自分を責めだすと止まらなくなって、何も手につかなくなることはしょっちゅう。娘がアナフラキシーショックで救急搬送されたときは、『死んでしまうかもしれない』という恐怖に襲われました。救急搬送されたことは3回。毎回恐怖におののき、自分が病気だったときにはないプレッシャーを感じました」

 そのときの岸さんにとって一番の救いになったのが、娘の笑顔だった。