何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで……「失敗だらけの道」を歩んでいるかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、32歳で創業者の父の後を継ぎ、ダイヤ精機の2代目社長となった諏訪貴子さん(49歳)の失敗図鑑、まずは前編です。
(上) 窮地でも誰も答えをくれない 32歳で主婦から社長に ←今回はここ
(下) 「ボロクソ批判の声」の学び 若いときに夢はなくていい
日本有数の「ものづくりの街」として知られる大田区で、精密金属加工を得意とする中小メーカー、ダイヤ精機の2代目社長である諏訪貴子さん(49歳)。自身の人生を振り返った著書『町工場の娘』がテレビドラマ化されるなど、その異色のキャリアと転機の乗り越え方は注目を浴びた。社長に就任したのは2004年の32歳のとき。創業者の父親が肺がんで急逝したためだった。
当時の諏訪さんは、普通の主婦。6歳の息子の子育てに追われ、車や家のローンも夫任せ。それが一転、会社の存続をかけて資金繰りも行わなくてはいけない経営者へ。幹部社員の後押しがあって就任したものの、「ネットで『社長の仕事』と検索したほど、何も分からなかった」という。
それだけに失敗の数は多く、そのスケールも大きい。就任の挨拶に行った銀行で、支店長から「おまえが社長?」と「おまえ」呼ばわりされてけんかになったり、経営を立て直すために5人をリストラしたら、幹部社員から怒鳴られ、社員全員が敵になったり。本来はおっとりとした性格だが、「就任時は気合が入り過ぎていました」
2008年に世界的金融危機のリーマン・ショックが起きた後は受注が激減し、あと3カ月赤字が続いたら全員リストラ、という苦境に陥ったこともあった。しかし、彼女自身はそれらを失敗とは捉えていない。
「失敗は、成長するためのチャンスですからね。私は理系で、物事を理詰めで考えるタイプなので、なぜ失敗したのか、どうしたら成功するか、という筋道を立て直すのが早いのかもしれません。むしろ、こんなはずじゃなかった、という出来事のほうがダメージが大きい」
そんな、ダメージを受けた出来事が、社長就任時にあったという。