何かを成し遂げた女性は、華々しいキャリアで順風満帆に見える。でも実は、見えないだけで、思い通りにいかず悔しくて、泣いて、もがいて、落ち込んで…「失敗だらけの道」を歩んでいるのかも。先輩たちの生々しい失敗談に、転機の乗り越え方、転び方、失敗を最高の糧にするヒントを学ぶ連載。今回は、放送作家で近年はコメンテーターとしても活躍する野々村友紀子さん(47歳)の失敗図鑑(下編)です。

(上) 野々村友紀子 ポンコツ会社員をへてテレビ業界へ
(下)野々村友紀子 仕事と家事のバランス取れず夫にイライラ ←今回はここ

遠距離恋愛を実らせ28歳で結婚

 現在、放送作家、タレント養成所の吉本総合芸能学院・東京校(NSC)の講師、コメンテーターとして幅広く活躍している野々村友紀子さん。25歳までお笑い芸人として活動、コンビ解散を機に会社員を務めたのち、放送作家へ転身。再びお笑いの世界で活動を始めた。

 「会社員をしていたとき、分からないことが多いのに、何でもできるふりをしてしまったことで、結果的に周囲に迷惑をかけてしまいました。自分自身もできない自分を受け入れられなくて、ごまかしながら仕事をしていたように思います。でも、放送作家としてやっていくと決めてからは、会社員時代の反省を生かして、先輩に分からないことは素直に聞いたり、自分でも調べたりして失敗を防げるように努めました」

 例えば、放送作家としての心構えやルール、台本の書き方、通りやすい企画書のコツや 各放送局のフォーマット、人気番組の傾向などあらゆることを教わった。そのかいがあり、放送作家としてデビューしてからは、大きな失敗はないと話す。

 仕事が軌道に乗った28歳のとき、野々村さんは数年間交際していた後輩芸人の2丁拳銃・川谷修士さんと結婚。当時、東京を活動拠点としていた修士さんと大阪で働く野々村さんは遠距離恋愛を続けており、自然な流れで結婚することになったと振り返る。

 「結婚を決めたのは、シンプルに、この人と一緒にいたい、家族になりたいと思ったから。それには結婚するのが一番だと考えていました。当時から私は、恋愛や結婚を人生の一大事とは思っていなくて、たまたま付き合った人とうまくいって、このままずっと一緒に生きていきたいとお互いに思えたから結婚することになったんです」

 現在も仲良し夫婦として知られる野々村さんと修士さんだが、一度だけ、関係性を見直す出来事があったと話す。